ジェンダーという言葉やジェンダーフリーという概念をご存知の方は多いと思います。
20世紀後半の女権拡張運動や女性解放運動(ウーマンリブ)の中で、人間が生まれながらにして持つ生物学的な性差と、後天的な環境要因によって構築された社会的・文化的な性差とを区別して考える必要が叫ばれるようになりました。
そこで、先天的・身体的・生物学的性別を示すセックス(Sex )に対して、後天的・社会的・文化的性別を意味する言葉として使われるようになったのが『ジェンダー』(Gender)という言葉です。
そして、『ジェンダーフリー』という言葉が作られました。この言葉は、「男だから何々しなきゃいけない」とか、「女だから何々しなきゃいけない」といった社会的・文化的性差(ジェンダー)の押しつけから自由(フリー)になるという意味の和製英語です。
平成12年(2000年)に、『男女共同参画社会基本法』が閣議決定され、地方公共団体でもそれぞれの取り組みが進められていて、公式サイトなどで、例えば、ジェンダーフリーへの取り組みと言ったような表現が使われています。
「男性は仕事、女性は家庭と子育て」などの固定的な男女の役割分担意識を改め、政治の場でも、職場でも、家庭でも男女が共に参画し、それぞれが充実した人生を送ることができる社会を実現しようという、『男女共同参画社会基本法』の基本理念を意味する言葉として、ジェンダーフリーという言葉が使われるのであれば問題ありませんが、杓子定規(しゃくしじょうぎ)な解釈や行き過ぎた解釈がなされ、男らしさ、女らしさまで否定することになりかねないということになれば、物議を醸(かも)し出すことになります。
現に、ある県では平成15年(2003年)に、県議会が「県内の幼稚園、小、中学、高等学校でジェンダーフリー教育を行わないよう求める陳情」を採択したほどです。
例えば、次のようなことになりはしないかというのです。
○ひな祭りは女の子、端午の節句は男の子の祭りなので問題である。
○性別など気にしないで、男子生徒と女子生徒は同じ教室で着替えをすれば良い。
○絵本にエプロンをして家事をしている母親のさし絵があると違和感を覚える。
○男子児童のランドセルが黒色で、女子児童のランドセルが赤色なのはおかしい。
○久振りに遊びにきた孫娘に、「女らしくなったね」と言ってはいけない。
○「男の子を男らしく」「女の子を女らしく」育てるのは間違いである。
○男の赤ちゃんに青系の服を、女の赤ちゃんに赤系の服を着せる風潮は良くない。
○男の子が車や電車、女の子が人形で遊ぶ風潮は改めるべきである。
○学校の制服が男子はズボンで女子がスカートなのはおかしい。
○体育で女子にも騎馬戦をさせるべきだ。
一般にいわれる「男らしさ」や「女らしさ」というものは、果たして後天的な環境要因のみによって作り出されたものなのでしょうか。セックスに対してジェンダーという概念が提唱され、理解され認知されても、セックスとジェンダーの境界が明確にされているわけではないのです。
性別が関わる慣習のほとんどに生物学的性の違い(生殖機能や男女の体つきの特徴など)が影響しているのだ、とする考え方もあれば、ほとんどが生物学的性とは無関係に形成されたとする考え方もあり、これらを両極端とし、その中間に位置する考え方も多く存在するようです。
「脳 性別」でネット検索して見ましょう。何と、134万件が検索されます。
人間を含む脊椎動物の脳はその性別により異なった構造を持つことが、大脳解剖学における肉眼観察や、ラットを使った実験によって確かめられていて、人間の場合、男女が示す精神的・文化的傾向の違いは、脳の性差にその一因があると考えられているようです。
田中冨久子著『女の脳・男の脳』(日本放送出版協会発行、1998年 1月初版)という本を読みました。横浜市立大学医学部生理学教授で、脳科学、特に神経内分泌学を専門とする著者が、94の参考文献をあげて書いている本です。
人間の脳には、新しい脳の部分(新皮質)と古い脳の部分(辺緑系−視床下部)とがあって、とくに新しい脳が担当する知的機能は、生後の養育や教育によって、つまり社会的に性差がつくられる部分が大きく、一方、古い脳が担当する、生命を維持したり、種を保存したり、また順位社会でよりアグレッシブ(積極的)に生きるための機能には、生まれたときにすでに決まった男女の違いがあるそうです。
例えば、ケーキが好きな女の脳、小食の女の脳と大食漢の男の脳、けんかが好きな男の子の脳、おとなの男の脳は女の脳よりも攻撃的、などとあります。
本の著者は、あとがきで次のように述べています。
『男女の社会での順位差を縮めるべく、女だけでなく、男も歩み寄ってつくる平等社会が理想的である。私が考えるこのような男女平等社会形成の背景には、主として古い脳について科学が明らかにした生物学的性差を認めて、男女協調するという姿勢であることがまず大切である。そして、新しい脳には男女同一の環境を与えることが大切である。50年、
100年かかるかも知れないが、社会の変化を期待しよう。』
ジェンダーという概念を理解し認知して男女共同参画社会の実現を進めれば良いことであって、ジェンダーフリーという言葉については、さらにそれ相当の議論を経た、コンセンサスの得られる定義付けが必要であると思います。
このように書くからといって、当記事の著者が男権主義者であるというわけではありません。結婚以来30年、共働きでやってきました。結婚当初の時代は、家庭は男の再生産の場であるという考えが主流でしたから、「ニューファミリー」などと揶揄(やゆ)され、上司からは冷ややかな目で見られたものです。
家へ帰れば上げ膳据膳でおれる同僚を羨ましく思いつつ30年が過ぎ、今でもその思いに変わりありませんが、女性である前に、人間として仕事に生き甲斐を見出せるのならばという思いでやってきました。そして、同時に妻は女性として美しく女らしくあって欲しいと思ってきたものです。
【参考】
この記事は、文中の書籍の他に、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
を参考にして書きました。 |
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