レポート  ・鑑真和上の秋目上陸ものがたり   
− 鑑真和上の秋目上陸ものがたり −

唐の高僧で、失明しながら6度目の挑戦でやっと日本上陸を果たし、唐招提寺を創建した鑑真(がんじん)については皆さん、ご承知の通りです。一昨年(2003年)は、来朝1250周年に当たり、各地で「鑑真和上記念特別展」などが開かれました。


鑑真和上が日本上陸の第一歩を印した鹿児島県坊津(ぼうのつ)町の秋目(あきめ)を、新しい年2005年が明けた正月の、抜けるような青空の穏やかな日に訪れました。そこで改めて、鑑真和上の秋目上陸までの経緯をまとめてみました。


高僧を唐に求めて


わが国の仏教は、538年に百済(くだら)から伝来して約200年後の、聖武天皇の天平時代、律令国家体制と結びついて空前絶後の発展を遂げます。しかし、整ったのは仏法の外見だけで、戒律(かいりつ)の乱れはなはだしく、正しい授戒(じゅかい)の実行と戒律の知識の普及が必要な状態にありました。


そこで、天平5年(733)に聖武天皇は、日本の授戒の師となるべき高僧を唐に求め、第9次遣唐使として、二十歳そこそこの二人の青年僧、栄叡(ようえい)と普照(ふしょう)を唐に送ります。


14歳で出家 〜 戒律の第一人者・鑑真


唐の揚州江陽県に生まれた鑑真は、14歳のとき父と龍興寺という寺に参詣し、仏像を拝して、菩提心(ぼだいしん)を発したと言われ、同歳で出家します。


栄叡と普照が入唐した天平5年(733)には、46歳の鑑真は、揚州に戒律を浄持するにおいて他に並ぶ者なしと言われるほどの高僧として活躍していました。


二人の青年僧は、唐に戒律の高僧を捜し求め、東奔西走しはじめて9年目の天平14年(742)に、ついに理想の高僧・鑑真にめぐり合います。


沈黙の数刻


二人の青年僧に仏法宣布の願いを懇請された鑑真は、衆僧の前で、「誰かわが講席に列(つらな)った弟子の中に日本に伝法に行く者はないか」と問います。渡航の賛否をめぐって沈黙の数刻が流れます。


しかし、衆僧黙然として、唯一人こたえる者がありません。すると、鑑真は「誰も行かぬのなら私が行く」と言って、戒律の大徳の日本行きが決ったと言われます。


出国禁止令と暴風などの障害


しかし、唐における高僧の徳望を惜しむ慰留や、皇帝の出国禁止令、暴風などの難に遭い、5度の渡航に失敗し、潮風に侵されてついに失明します。


(1)天平15年(743)、56歳のとき、弟子の密告によって第一次渡航計画失敗。
(2)同年、第二次計画を立てるが、狼溝浦で遭難して失敗。
(3)天平16年(744)、57歳のとき、渡航計画が発覚し、栄叡がつかまって第三次計
   画失敗。
(4)同年、黄巖県禅林寺で役人に日本行きを妨げられ、第四次計画失敗。
(5)天平20年(748)、61歳のとき、東シナ海で季節風に遭い、漂流し海南島に流れ
   着き、第五次計画失敗。天平勝宝2年(750)、63歳のとき、失明する。


そして、秋目上陸


しかし、鑑真の渡日伝戒の志はくじけることはありませんでした。やがて67歳を迎えようとする天平勝宝5年(753)の12月20日、ひそかに遣唐使船の中にかくまわれた鑑真は、薩摩の国、阿多郡秋妻屋の浦(現在の坊津秋目)に到着し、日本上陸の第一歩を印したのです。発意してから、実に11年目のことでした。


秋目に数日滞在したのち、鑑真は大宰府に立ち寄り、天平勝宝6年(754)の2月に奈良の都に到着します。


日本仏教の面目一新


天平宝字2年(758)71歳のとき、大和上の尊号を賜り、聖武天皇・光明皇后を始め、多くの僧が大仏殿前で授戒を受け、翌年、律学の根本道場として唐招提寺が創建されました。日本中の僧侶が集まって戒律の修学がなされ、日本仏教の面目が一新されました。天平宝字7年(763)の5月6日、 結跏趺坐(けっかふざ)のまま鑑真大和上入寂。行年76歳でした。


     若葉して御目の雫ぬぐはばや  芭蕉


【用語】
○戒律(かいりつ)=宗教上、人が守るべきおきて。
○授戒(じゅかい)=〔仏〕 修行者・信者としての守るべき戒律を授けること。
○菩提心(ぼだいしん)=最高の悟りである仏としての悟りを願いもとめる心。
○大徳(だいとく)=〔仏〕 仏のこと。高徳の僧。
○大和上(だいわじょう)=戒和上としての最高位を意味する尊称。真言・法相
           ・律宗でいい、鑑真(がんじん)に贈られたものを最初とする。
○ 結跏趺坐(けっかふざ)=仏教における坐法の一。あぐらをかき、左右のももの
           上に、反対の足を置き、足の裏をあおむけにして組むもの。

 
【備考】
◆このレポートは、坊津町の鑑真記念館でもらった「唐大和上の秋目上陸」と題する案内パンフレットなどを参考にして書きました。
『旅行記  ・坊津  − 鹿児島県坊津町』が参考になります。
→ http://washimo.web.infoseek.co.jp/Trip/Bounotsu/bounotsu.htm


2005.01.12  
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