コラム | ・ふらここ |
− ふらここ − |
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ふらここは、ぶらんこのこと。古くは鞦韆(しゅうせん)といい、中国から入ってきた遊具で、別名を、秋千(しゅうせん)、半仙戯(はんせんぎ)などともいいます。 ふらここの少女の足は天を蹴る 桜 ぶらんこは、春の季語で、冬から解放させた子供たちが、春風に向って髪をなびかせて漕ぐ躍動感は、まさに春そのものであると俳句歳時記(角川書店)にありますが、元々は、古く中国の宮中行事に由来します。 地球は、地軸(北極と南極を結ぶ線)が傾いて、太陽の周りを一年に一周しています。そのため、太陽は一年に一回、北半球が夏至の日に北緯23.4度の位置(北回帰線)まで北上し、北半球が冬至の日に南緯23.4度(南回帰線)の位置まで南下します。 冬至は、一陽来復(いちようらいふく)とも言われ、陰が極まって再び陽が帰ってくる日と考え、古代中国では、冬至を一年の始まりとし、古代のローマでは、太陽が復活する日として盛大な祭りを行いました。 昔の人は、ぶらんこの揺動運動を、北回帰線と南回帰線のあいだを往復する太陽の周期的な繰り返し運動になぞらえました。イタリアやスペインでは、元来が冬至祭であるクリスマスの日に、ぶらんこに乗るのだそうです。 一方、中国では、冬至から数えて百五日目(現在の4月初旬)を寒食節(かんしょくせつ)と呼び、この日、宮中では、太陽のよみがえりをねがう儀式として、ぶらんこに乗る競技が行われました。 盛装の宮女たちが裾(すそ)を翻(ひるがえ)して戯れる姿は、エロティシズム漂うもので、春の景物として、北宋時代の詩人・蘇軾(そしょく)などが、漢詩に詠んで います。春の季語たる所以でしょう。 春夜詩/蘇軾 春宵一刻値千金 (しゅんしょういっこくあたいせんきん) 花有清香月有陰 (はなにせいこうあり、つきにかげあり) 歌管楼台声細細 (かかんろうだいこえさいさい) 鞦韆院落夜沈沈 (しゅうせんいんらくよるちんちん) 春の夜の一刻は千金にも換えがたい 花は匂い、月はおぼろに霞んでいる 高殿は歌楽の宴が終って静まりかえっているし ぶらんこ競技が行なわれた中庭は今はひっそりとして 夜がふけてゆく 昼間が賑やかで華やかであればこその値千金の春宵ということでしょう。鞦(しゅう)は、牛や馬の尾にかけてぐっと引きしめる皮ひものことで、韆(せん)は、軽々と動くこと。よって、ひもを引しめて、前にうしろに遷(うつ)すことから、ぶらんこの意。 また、発音が同じことから、千秋万歳の意を含ませて秋千とも書かれ、ぶらんこの浮遊感が、半ば仙人になったような気分であるとの喩(たと)えで、半仙戯(はんせんぎ)ともいわれました。さて、俳句では次の句などが知られています。 鞦韆は漕ぐべし愛は奪ふべし 三橋鷹女 鞦韆にこぼれて見ゆる胸乳かな 松瀬青々 鞦韆に抱き乗せて沓に接吻す 高浜虚子 冒頭の桜さんの一句にあるように、ぶらんこには女をのせてイメージせよ、ゆめゆめ、男などをのせてイメージすることなかれということでしょうか。次の句は初老の男女をのせてみました。還暦の祝いの集まりかも知れません、一行が母校を訪ね、戯れにぶらんこに腰掛けてみると、こんなにも低かったのかと気づきます。老いらくとくれば、恋と続きますが、老いらくとは、老いてなお楽しいという意味です。 ふらここの座れば低き同期会 ワシモ 老いらくやふらここ揺らし揺らされむ |
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2008.03.26 | ||||
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