レポート  ・シクラメンの歴史   
− シクラメンの歴史 −

シクラメンは、クリスマスや新年に開花するよう栽培されるようになって、冬の代表 的な鉢花としてすっかり定着していますが、本来は早春花であり、俳句では春の季語 とされます。


サクラソウ科の球根植物で、シリアからギリシアにかけての地中海地方が原産。心臓 形の葉を叢生(そうせい)し、そこから立つ花茎(かけい)に蝶形の篝火(かがりび) のような花をつけることから、篝火花と呼ばれると歳時記にあります。


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南フランスやイタリア、シチリア島などの原産地では、野豚が球根を掘って食べるこ とから、シクラメンのことを英語ではサウブレッド(Sowbread)とも呼ぶそうです。 sow は、雌(めす)豚のことであり、bread はパンのことですから、豚のパンという ことになります。


日本にシクラメンが入ってきたのは明治初期でしたが、当時はまだパンという言葉に なじみが薄かったので、『豚のまんじゅう』と訳して紹介されました。しかし、それ ではあまりにかわいそうだというので、植物学者・牧野富太郎博士(1862〜1958)が、 『篝火花』という和名をつけました。それでも当時は、新宿御苑や華族の温室などで しか見られないごく珍しい、一般にはなじみのない花でした。


大正の初め、日本橋三越デパートに飾られた鉢植えのシクラメンのあまりの美しさに 魂を奪われ、ショーウィンドウに釘付けになった修学旅行中の学生がいました。当時、 信州上田市の蚕糸専門学校生だった伊藤孝重(1896〜1991年)という人です。


学業を終えて、現在の岐阜県恵那市に帰郷した伊藤は、家業の養蚕ではなく、好きな 花づくりの道を歩み始めます。初めはパンジーなどを手掛け、まだビニールハウスな どのない時代に、半地下式の保温施設を手作りするなど、研究熱心だったそうです。


大正12年(1923年)頃、当時建設中の大井ダムの技術指導のため来日していた外国人 技師の奥さんから『シクラメンを作ってみては』と勧められます。このひとことが、 東京三越での記憶を蘇らせ、伊藤にシクラメン栽培を決心させました。


ドイツから買い求めた種子をまき、植え替えを重ね、品種の改良、株腐れを防ぐ土壌 の改良など、苦労の末に『恵那のシクラメン』が生産できるようになり、昭和10年 (1935年)頃には、恵那一帯は日本最初の本格的なシクラメン生産地となりました。 恵那市では、毎年12月上旬に『シクラメン祭り』が開催されるそうです。


シクラメンは学名を、Cyclamen persicum といいます。persicum は、ペルシャのと いう意味で、Cyclamen(英語のclycle=サイクル ) は、ギリシャ語の 「kiklos 」 を語源とし、丸いという意味があります。シクラメンの塊根(かいこん)が丸い球形 であること、原種は花が終ると花梗(かこう)がくるりと丸くなることに由来します。 シクラメンという呼び方は、当時豚のまんじゅうと呼ばれていたのを伊藤が、学名を そのまま使い、シクラメンないしサイクラメンと呼んだことに始ったそうです。


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すっかり無彩色になった冬景色に、華やかな彩りを添えてくれるシクラメンですが、 小椋佳作詞・作曲の『シクラメンのかほり』のイメージが強いのでしょうか、どこか うれいを秘めた雰囲気をもっているように思います。 『貴方の部屋に置きました一鉢の真赤なシクラメン。花弁が反り返った姿は、夜間に 漁に出て行く舟が、帰る浜辺の目印にするという篝火に似ておりませんか・・・    こちらは、雨になりました。』


      ○ 水弾く車道の音やシクラメン   ワシモ  


                                       (文中敬称略)


【参考】 このレポートは、下記のサイトなどを参考にして書きました。
・日本まん真ん中vol.24  → http://www.pref.gifu.lg.jp/pref/kouhou-c/manmannaka/vol24/reve.htm
・荒俣宏監修/ひだ・みの花紀行  → http://www.pref.gifu.lg.jp/pref/s11334/hanakiko2004/hanamigaku/07.html
・飛騨/美濃 ふるさと自慢  → http://www.shoushin.co.jp/mino38.htm



2006.02.08
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