コラム | ・ちゃわんむしの歌 |
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− ちゃわんむしの歌 − |
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神田川といえば、団塊の世代にとっては、やはり昭和48年(1973年)に、南こうせつとかぐや姫が歌ったホークソング『神田川』です。団塊の世代がちょうど、大学生の頃で、大学周辺の間借り街には銭湯があって、よく通ったものです。千葉にお住まいのいずみさんから、つぎのようなお便りを頂きました。 今から14、5年前、日本語教師をしていた時に、授業で『神田川』を聞いてもらい、情景を想像して発表してもらったことがありました。中国や韓国の学生が主でしたが、みんな純真で、今の日本には無くなったものを持っていたような気がします。 ほとんどの学生が、居酒屋などの飲食店でアルバイトをしていて、なかには、中国の両親に家を建ててあげた学生もいました。そんななかで、今でも忘れられないのは、『茶碗蒸しってどんな虫ですか』と質問されたことです。 〜千葉在住のいずみさんより そこで、話題は、『ちゃわんむし』のことに移りました。鹿児島には『茶碗蒸し』を『茶碗虫』と聞き間違ったという歌があります。鹿児島の方言で歌われる歌です。( )内が注釈です。 − ちゃわんむしの歌 −
※ 目籠〔めご〕=竹などで編んだ目の粗い籠(かご) この歌が作られた経緯が、鹿児島県鹿屋市立寿小学校のホームページで、紹介されているので、転載させてもらいました。 1998・6・27南日本新聞記事から 1981年(昭和56)年発行の鹿児島大百科事典を調べたところ、茶わんむしの歌は鹿児島の民謡や童話の発掘、保存に努めた故・久保けんおさんが大正末期、石黒ヒデが姶良郡の小学校で学芸会の劇中歌として作ったと書いてある。 石黒さんの娘、安子さん(70)の話 「不幸な生い立ちの少女が主人公の劇を母が作ったそうです。でもかなりセンチメンタルな内容だったので別の学校に転勤したよく年、最後の部分を作りなおし、そこで茶わんむしの歌をつけたそうです。吹雪の原から春の森へと抜け出て希望を見いだした少女らが、茶店へ入る。そこで茶わん蒸しを注文したところ、店の女性が「茶わん虫」と聞き違えた。」その後ヒデさんは教師を辞めて上京、50年あまりたって、ふる さとで茶わんむしが歌われているのを知ったという。・・・・・・ 〜鹿児島県鹿屋市立寿小学校のホームページより転載 歌詞もメロディもユーモラスで、屈託のない明るさが溢(あふ)れた歌ですが、その誕生のエピソードにも微笑ましいものがありますね。この歌は今でも県内の子供たちに歌い継がれています。 【備考】 ◆『寿小学校のホームページ』の下記ページでメロディを開くことができますので、 是非聞いてみて下さい。 → http://www.osumi.or.jp/sakata/hougen/tyawan2.htm ◆『鹿児島県鹿屋市立寿小学校のホームページ』のトップページアドレスは、 つぎの通りです。 → http://www.osumi.or.jp/sakata/default.htm (記事転載とリンクのお許しを頂き、ありがとうございました。) |
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2006.01.11 | ||||
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