レポート  ・『21世紀 仏教への旅・ブータン編』を読む   
 
− 『21世紀 仏教への旅・ブータン編』を読む −
  
 第一報
  
国民の心理的な幸せなどを指標とする『国民総幸福量』(GNH)を重視する国として知られるブータン王国の若き国王、ジグミ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク陛下(31歳)が、結婚のわずか1ヶ月後、最初の外遊先いわば新婚旅行先に日本を選ばれ、昨年(2011年)11月来日されたのは記憶に新しいところです。
 
同月17日の国会演説で、東日本大震災について『いかなる国の国民も決してこのような苦難を経験すべきではありません。しかし仮にこのような不幸からより強く、より大きく立ち上がれる国があるとすれば、それは日本と日本国民であります。私はそう確信しています。』と語り、ブータンの言葉『ゾンカ』で祈りを捧げられました。
 
幸せ指標に生きるブータンに一度行ってみたいという思いが込み上げてくる一方で、ブータンへの旅行は制約があってどうも大変そうだと知るのでした。そんな折、Nさんからブータンの素晴らしい写真がたくさん届き、『ブータンの風景』と題するページを作成し、ホームページにアップロードしたところです。
 
南アジアにあるブータンは、北を中国、南と東西をインドという二つの大国に挟まれた、面積が九州の 0.9倍の国土に約70万人が住む小さな王国です。20世紀以来、先進諸国は経済発展を遂げたものの、物質文明に行きづまり、人間性を喪失するなど、さまざまな壁にぶつかっています。
 
そんな中で、いまにも二つの大国にのみこまれそうな小国ブータンの、 GNP(国民総生産)よりもGNH(国民総幸福量)を重視すべきだという取り組みが世界中から注目されています。 GNHを重視するブータンの思想的な背景を、五木寛之さんの著書『21世紀 仏教への旅・ブータン編』(2007年、講談社発行)に探ってみました。
 
(1)なつかしい風景
 
顔かたちがよく似ている。ブータンの男性が着るゴという民族衣装は、日本のドテラによく似ている。米を主食とし、そばを食べ、麹(こうじ)で酒をつくる。店先には、キャベツ、タマネギ、トマト、ナス、ダイコン、ニンジン、シイタケといった、なじみの野菜が並ぶ、建築物はほとんど木造である。など、ブータンと日本を比べると共通点がたくさんあるそうです。
 
ヒマラヤ山脈の山ひだにあるブータンは、北部は標高が 7500mにも達する国ですが、Nさんから届いた写真にみられるように、山や谷や川、牛の寝そべる山すそ、水稲が植えられた棚田など、農業国ブータンの風景は、近代化以前の日本の原風景を思い起こさせるようだし、ブータンに着いて最初に感じたのは、自分のふるさとに帰ってきたような、不思議な『なつかしさ』だったと、五木さんは書いています。
 
(2)異なった仏教の姿
 
ブータンは、90%以上が仏教徒だといわれます。この点も日本に似ていますが、ブータンが日本に似ている、という印象は、やがて変わっていきます。祈りの質も、生と死というものに対する感覚も、生きとし生けるものに対する接し方も全く違う人々がいる。同じ仏教の姿が、これほどまでに違うものか、と五木さんは衝撃を受けるに至ります。
 
ブータン人が信仰している仏教は、チベットから伝わった密教で、赤や青や緑などの強烈な極彩色で彩られた曼荼羅図(まんだらず)や祭壇、男女が抱擁して合体した歓喜仏、獣の顔や目をむいた憤怒の恐ろしい形相の醜悪奇怪な神仏の表情など、違和感を感じずにはいられなかった。
 
(3)輪廻転生(りんねてんせい)と業(ごう)
 
そして、生活習慣のなかに根づく宗教観は日本のそれとは異なるものでした。人間は死んでから四十九日間、生と死のはざまにあり、生前の行いに応じて、天・人・阿修羅・畜生・餓鬼・地獄という六つの世界のどれかに生まれ変わるという輪廻思想が、ブータンの仏教では重要視されます。
 
ブータンの人びとは決してハエや蚊をたたいて殺さない。魚つりもしない。なぜなら、そのハエや蚊や魚が前世では人間だったかも知れない、祖先の誰かの生まれ変わりかも知れないからです。
 
ブータンの仏壇には、位牌(いはい)はなく、墓もつくらない。人が死ぬと、四十九日後に輪廻転生して、新しく人間に、あるいは牛や犬やスズメ、ゴキブリかも知れない何かに生まれ変わって、この世にいるのだから、先祖を供養するということ自体が意味を持たないわけです。
 
日本では、人が死ぬと、安らかにお眠り下さいと祈り、命日には『何回忌』という形で、欠かさず供養を行いますが、ブータンでは、四十九日後に、より良い人生がスタートできますようにと祈ります。その後は、この世のどこかに戻ってきているのですから、もう死者ではないわけです。
 
この輪廻転生に結びついた『業』(ごう)という概念がブータン仏教の一つの思想になっています。業は、『行為』という意味で、よい行いをすれば来世でよい果報がある、すなわちより良い境遇に生まれ変われる、と考えられており、この『業』の概念が、ブータン人の行動を規制していると。
 
(4)縁起(えんぎ)=関係性
 
ブータン仏教のもう一つの思想は、すべてのものは相関関係にある、すべての生き物、すべての現象はお互いに依存しあい、関連しあっていま、ここにあるという、『縁起』という概念だそうです。
 
すべての現象は互いに関連して起こる、という本質的な認識を持てば、関係ということなしに、個人は存在しえないから、一番大切なのは、『個人』ではなく『関係』ということになる。ブータンでは、あくまでも世界を『つながり』のなかでとられる。この考えは、『個』を重視する西洋的な思想とは対照的です。
 
自然保護に力を入れる考え方、人間も、動物も、植物も、すべてのものの命を大切にするという考え方には、こうしたブータンの仏教思想が背景にあると。
  
 第二報
  
(5)なんのために祈るか
  
第一報をお読み頂いた方から、次のようなコメントを頂きました。
  
ブータンから帰国した人から聞いた話しですが、一緒にお寺へお参りした時のこと、『あなたは、何を祈ったのですか?』と聞かれ、自分の健康や家族のことを、と答えたところ、『私たちブータン人は、個人的なことはお祈りしない。世界の人々が平和でありまように』と祈るのです、と返されたそうです。
 
このコメントとまったく同じことが、五木さんの著書にもでてきます。ブータンの人たちは、『亡くなった人たちがよりよい境遇に生まれ変わるように』と祈り、誰に尋ねても、自分のためではなく、他人のため、生きとし生けるもののすべてのために祈っている、という答えが返ってきたとあります。
 
これは、ブータンの人たちの日常の中に、『縁起』(えんぎ)という考え方が自然な形で根付いているということでしょう。自分は他者との『つながり』のなかで、依存しあって生きている、他人が幸せになれずに、なんで自分だけが幸せになれようか。
 
昨年(2011年)11月に来日されたブータン国王ジグミ・ケサル陛下の国会演説が思い出されます。 − 国民は常に日本に強い愛着の心を持ち、何十年ものあいだ偉大な日本の成功を心情的に分かちあってまいりました。3月の壊滅的な地震と津波のあと、ブータンの至るところで大勢のブータン人が寺院や僧院を訪れ、日本国民になぐさめと支えを与えようと、供養のための灯明を捧げつつ、ささやかながらも心のこもった勤めを行うのを目にし、私は深く心を動かされました。−
                             
(6)死の質
    
また、同様に第一報をお読み頂き、『ブータン人は、汚れた魂のままで、あの世へ行くのか?』と考えているのですよ、つまり、自分の魂を現世にいる間に磨くのですね、というコメントを頂きました。
 
五木さんの著書に、ブータン研究所所長で GNH(国民総幸福量)の設計者であるカルマ・ウラ氏の語った『死の質』という言葉がでてきます。『死の質』とは、馴染みのない概念ですが、上のコメントを聞いて、なるほど、魂を磨きあげて死に臨む、というようなことなのだなと気づきました。もちろん、輪廻転生の思想に基づいているのでしょうが、現世にいる間に魂を磨くということは、命を尊重し大切にするということでもあります。
 
ブータンのGNP(国民総生産)は、世界 190余国のなかで、かなり下位にあります。また、2009年の平均寿命は、66.5歳ですから、日本人の平均寿命(2009年、82.9歳)に比べて大きな開きがあります。こうしたデータをみるかぎり、『豊かさ』という点で、ブータンと日本の間には大きな格差があるといえるでしょう。
 
しかし、カルマ・ウラ氏は、日本人の『死の質』は低いのではないかと指摘します。繁栄しているのに、日本では自殺が多い、凶悪な殺人事件が頻発し、親による子供の虐待、子供同士のいじめなど、教育面でも難問を抱えている。自分を大切に思えないから、自分の命も簡単に捨てられるし、他の人の命もうばえるのだろうと。
 
(7)決めつけすぎる日本の社会
 
カルマ・ウラ氏は、2004年に、千葉市にあるアジア経済研究所の客員研究員として、約6ヶ月間を日本で過ごしています。カルマ・ウラ氏にとって印象的だったのは、日本の社会には、こうすべきだ、ああすべきだ、という見えない規制があって、日本人は非常に自制がきいているということでした。
 
そのことは、人間関係にかぎらず、きちんと舗装された道路、並び方がきれいに定められて植えられ公園の並木、コンクリートで固めて流れ方が決められている川など、自然までもがコンクリートを多用して規制されていると。
 
『あまりに、決めつけすぎではないでしょうか。』 その背景は、経済大国をつくるという一点から出てきている、のではないかとカルマ・ウラ氏は指摘し、『目に見えないものの価値を忘れてはいけない』とつけ加えています。
 
(8)国境問題と難民問題
 
上述のように、桃源郷に見えるブータンですが、ブータンの現実は決して生やさしいものではありません。中国とインドという2つの大国と国境を接し、地政学上、微妙な位置にあるブータンは、北に中国との国境問題、南に難民問題を抱えています。加えて、国際化の波はブータンにも否応なしに押し寄せてきています。
 
歴史的、文化的に強いつながりを持っていた北の隣国チベットが1959年に中国に併合されると(現在は、チベット自治区)、ブータンは中国側の国境を閉鎖し、インドとの関係を深めていきました。中国との国境については、1998年に、将来の国境画定まで、1959年以前の境界を尊重するという合意が両国間でなされていました[1]
 
しかし、2000年代に入ると、中国がブータン領域内において道路建設を行い、軍及び民間人の越境行為が行われるようになります。国境画定交渉は現在も進行中だそうですが、ブータン政府は2006年に新国境線を発表しました。それによると、九州の約 1.1倍だった国土は、九州の約 0.9倍の面積へ縮小されています。
 
一方、南部では、1975年に、ブータンとネパールの間にあったシッキム王国という小国で王政が倒れ、インドに併合されます。シッキムはブータン同様、チベット系仏教国でしたが、ヒンドゥー教徒であるネパール系移民が急速に流れ込み、その移民たちが反政府運動を起こして、シッキム王政を倒したのでした。
 
19世紀後半から20世紀初頭に、経済的な理由から、多くのネパール人がネパールからブータン南部へ移住してきており、1980年の末ごろになると、ブータン人とネパール系移民の間で摩擦が起き始めます。シッキム王国消滅という前例があることから危機感を感じたブータン政府は、ゾンカ(ブータンの国語)の普及やブータン式の服(男性のゴ、女性のキラ)の公式の場での着用義務付けなど、国家のアイデンティティー強化のための施策を進めました。
 
これに反発して、1990年秋、南部ブータンにおいて一部ネパール系住民による反政府デモが展開され、反政府活動グループと警官隊との衝突で死傷者が出る事件も発生。難を逃れて、ネパール系住民がネパール国内に流入し始めました(ネパール系ブータン難民の発生)。現在、ネパール国内に UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)が建設した難民キャンプに、約6万2千人の難民が残っているといわれます[3]。2011年、2003年から中断していたブータン、ネパール両国政府による難民帰還に関する協議再開の合意がなされています。
 
(9)押し寄せる国際化の波
 
2つの大国に挟まれ、地政学上、微妙な位置にあったブータンは、鎖国政策を取っていましたが、1970年前後に開国します(1971年に国際連合に加盟)。1980年代になると国際化が進み、1999年に、国内テレビ放送が始まり、インターネットの利用が解禁されると、あらゆる面で、外国文化の影響を強く受けるようになりました。
 
国際化の波が押し寄せる中で、これまで通り、伝統文化や国家のアイデンティティーを維持して行けるのでしょうか? 急速な近代化ではなく持続可能な発展を目指しているブータンの指針になっているのが、金銭的・物質的豊かさの指標である『国民総生産』(GNP)よりも、精神的な豊かさの指標である『国民総幸福量』(GNH)を重視しようとするブータン政府の姿勢です。
 
(10)『国民総幸福量』(GNH)
 
『国民総幸福量』(Gross National Happiness、GNH)は、開国時期の1972年に、先代のジグミ・シンゲ国王が提唱したものです。『国民全体の幸福度』を示す“尺度”で、経済成長を重視する姿勢を見直し、伝統的な社会・文化や民意、環境にも配慮した『国民の幸福』の実現を目指す考え方です。
 
その背景には、仏教の価値観があり、持続可能で公平な社会経済開発、環境保護、文化の推進、良き統治、という4本柱の下で、心理的な幸福、国民の健康、教育、文化の多様性、地域の活力、環境の多様性と活力、時間の使い方とバランス、生活水準・所得、良き統治の9分野にわたり、『家族は互いに助け合っているか』『睡眠時間』『植林したか』『医療機関までの距離』など、72の指標が策定されています[4]
 
2年ごとに聞き取り調査を実施し、人口67万人のうち、合計72項目の指標に1人あたり5時間の面談を行い、8000人のデータを集めます。これを数値化して、歴年変化や地域ごとの特徴、年齢層の違いを把握します。2005年5月末に初めて行われた国勢調査では、『あなたは今幸せか』という問いに対し、45.1%が『とても幸福』、51.6%が『幸福』と回答しているそうです[2]
 
つぎのページがあります。
ブータンの風景(1)− ブータン王国(写真寄稿)
ブータンの風景(2)− ブータン王国(写真寄稿)
    
 − 編集雑感 −
 
昨年(2011年)11月のブータン国王の来日は、日本の人たちがブータンという国を知るきっかけになったという意味でも大変意義深かったと思います。加えて、ちょうどこの時期に、Nさんからブータンの貴重な素晴らしい写真をたくさんご提供頂き、机上ながら、ブータンのことについて勉強する契機となったことは大変有意義でした。
 
ブータンのことを知るということは、いろいろな面でスタイルが対極にある日本のことを浮き彫りにし、再認識するということでもありました。GNH(国民総幸福量)の設計者であり、ブータン研究所所長のカルマ・ウラ氏の『日本人は決めつけすぎている』という言葉が身を突き刺します。
  
ものづくり関連の仕事に携わってきた著者は、かねてより、仕事は段取りと気配り次第だというのが口癖です。段取りと気配り、それらは、『決めつけ』以外の何物でありません。そうした仕事スタイルの反動として、いま、伝統的な町並みや風景や文化・芸能などに惹かれ、目に見えない何かを追い求めているのかも知れません。
  
私たちは、私たちのスタイルを 180°方向転換することはできませんが、ブータンから学んだものを取り入れ、失ったものがあるとすれば、それらを少しづつ取り戻す取り組みはできるのではないでしょうか。これからのブータンに関心を持ち続けたいと思います。
  
【参考にしたサイト】
このレポートは、五木寛之さんの著書『21世紀仏教への旅・ブータン編』(2007年、講談社発行)のほか、下記のサイトを参考にして書きました。
[1] ブータン - Wikipedia
[2] 国民総幸福量 - Wikipedia
[3] 外務省: 最近のブータン情勢と日本・ブータン関係
[4] 外務省: ブータン〜国民総幸福量(GNH)を尊重する国
  

  2012.01.10、2012.01.18 
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