レポート  ・阿修羅像 〜 アンドロギュノス的な美   
阿修羅像 〜 アンドロギュノス的な美
上野の国立博物館で開催させている興福寺創建1300年記念『国宝 阿修羅展』(開催期間、2009年3月31日〜6月7日)は、5月14日には入場者数が50万人に達したといいますからその人気の程がうかがい知れます。あまりの人気に5月29日以降は、連日午後8時まで開館時間を延長しての展示となりました。
 
何といっても、ふくよかな微笑みのなかに何とも言えない憂いを秘めた、真摯で楚々とした美しさが、人気の秘密でしょう。著者(本HPの管理人)は念願叶って、5月17日、会ってきました。昼間は待ち時間が最大となるというので、上野にホテルを取って、夕方6時に入館しました。20分弱の待ち時間ですみましたが、それでも会場へ入ると阿修羅像の周りは身動きができないほどの混みようでした。
 
当然、展示されている阿修羅像は撮影できませんので、ポスターと入場券、パンフレットの写真を撮影して下記ページにアップしましたので、ご覧下さい。
 
 ・興福寺阿修羅像の面ざしを見る
     
白洲正子さんの著作に『両性具有の美』(新潮社)という随筆集があります。1997年3月初版の単行本が手元にありますが、新潮社装幀室の装幀による表紙カバーには、この阿修羅像が使われています(今日では、文庫本の方が安価で入手し易いですが、カバー装幀は阿修羅像ではありません)。
 
 ・『両性具有の美』(新潮社)の初版の表紙カバーを見る
     
すなわち、白洲正子さんは、この阿修羅像に『両性具有の美』を見たのでした。著書に、『ふつうの憤怒(ふんぬ)相とはちがい、紅顔の美少年が眉をひそめて、何かにあこがれる如く遠くの方をみつめている。その蜘蛛のように細くて長い六臂(ろっぴ)の腕も、不自然ではなく、見る人にまつわりつくように色っぽい。』とあります。
 
両性具有とは、人間が男女に分かれる以前のかたちであって、力強い男性のヘルメスと女性美の極致であるアフロディテが合体したという『ヘルマフロディトス』は、エジブトやギリシャ彫刻にみることができるが、乳房とペニスを持った神々は、具体的過ぎて少しも美しくはない。プラトンのいう『アンドロギュノス』と呼ぶのが適しているだろう、と正子さんはいいます。
 
両性具有というのは、あくまでも精神的な理想像であって、アンドロギュノスは、あまりに完全無欠であったために、神に逆らうものとして男女二つの性に引き裂かれてしまいました。その原初の姿に還ろうとして、男女は互いに求め合う。それが『エロス』のはじまりだそうです。
 
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興福寺の阿修羅像は天平6年( 734年)、光明皇后(こうみょうこうごう)が母橘三千代(たちばなのみちよ))の一周忌供養の菩提を弔うために造像したもので、ガンダーラの名工問答師の作とも伝えられます。
 
阿修羅像を含む八部衆立像と十大弟子を安置した興福寺の西金堂は、治承4年(1180年)に平重衡の兵火に遭遇しますが、十大弟子・八部衆立像は奇跡的に運び出されて無事でした。再造立された西金堂は、享保2年(1717年)に再度焼失し、いまだ復元再建されるに至っていませんが、このときも十大弟子・八部衆立像は奇跡的に運び出され、私たちは今日、1300年の時を超えて、日本の文化といにしえの人々の心に触れることができるわけです。
 
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阿修羅(あしゅら、アスラ)は、サンスクリットの asura の音写で、「a」が否定の接頭語となり、「sura」が「天」を意味することから、非天、非類などと訳されます。阿修羅は正義を司る神で、力を司る神である帝釈天(インドラ)が主である三十三天に住む天部の神でしたが、帝釈天に繰り返し繰り返し戦争を挑み、常に負ける存在でした。この戦いの場を修羅場(しゅらば)と呼びます。阿修羅は、帝釈天に歯向かった悪鬼神とされ、天部から追われ、堕天使となったのです。
 
阿修羅には舎脂(シャチー)という娘がおり、阿修羅はいずれ帝釈天に嫁がせたいと思っていたところ、帝釈天が舎脂を力ずくで奪ってします。それを怒った阿修羅は、帝釈天に戦いを挑むことになりました。何度も何度も挑むものの、戦いは、力の神である帝釈天が常に優勢でした。
 
この状況が天部で広まって阿修羅は天部を追われることになりました。なぜ天部を追われることになったのでしょう。帝釈天の行動は確かにほめられたものではありませんでしたが、娘の舎脂は帝釈天の妃となって幸福に暮らしていました。過去の出来事をいつまでも根に持って、正義に固執し続けるあまり、阿修羅の正義は思いやりのない、心の狭い妄執の悪となっていたのでした。
 
仏教に取り込まれる際、阿修羅は仏法の守護者として八部衆(仏法を守護する8神)に入れられますが、六道(仏教において迷いあるものが輪廻するという、6種類の迷いある世界)では、その闘争的な性格から人間道と畜生道の間に位置する修羅道の主とされました。修羅は終始戦いと争いに明け暮れ、修羅道には苦しみや怒りが絶えないといわれますが、地獄のような場所ではなく、苦しみは自らに帰結するところが大きい世界であるといわれます。
 
さて、憂いを秘めた美少年の面(おも)ざしにあなたは、阿修羅のどんな想いを汲み取るでしょうか。阿修羅展は、この後、7月14日から9月27日まで九州国立博物館で開催され、東京、福岡からの帰山記念として、10月17日から11月23日の間、興福寺仮金堂において『お堂でみる阿修羅』が開催されます。
 
【参考にした書籍・サイト】
[1]白洲正子著『両性具有の美』(新潮社、1997年3月発行)
[2]フリー百科事典ウィキペディア
 

2009.06.03 
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