レポート  ・ 球磨川 荒瀬ダム   
− 球磨川 荒瀬ダム −
熊本県南端部、人吉盆地を取り囲む九州山地の山々から水を集め、八代(やつしろ)で不知火海(しらぬいかい)に流れ出る球磨川は、日本三大急流の一つとして知られている川ですが、球磨川水系には、いま脱ダムの行方が注目されているダムが2つあります。
 
一つは、子守唄の里・五木村を貫通して流れる清流川辺川(かわべがわ)に計画されている国営の川辺川ダムです。このダムは、ご存知の通り、ダム計画について賛否両論が大きく分かれ、計画策定から40年を経た現在でも未だ着手に至っていないダムで、群馬県の八ッ場(やんば)ダムと双璧を成す長期化したダム事業の代表格として知られています。
 
もう一つは、1955年(昭和30年)に球磨川下流に建設された県営の荒瀬ダムです。終戦後の電力供給不足のなかで、発電を目的として計画・建設された堤高25mの重力式コンクリートダムです。下流約 700mにある県営藤本発電所が最大出力1万8200kWの能力で発電を行っています。
 
しかし、ダム周辺の住民は、ダムの放水による騒音と水が腐敗し泥土がヘドロ化したダム湖が放つ異臭に悩まされてきました。ダム湖に溜まった土砂で川底が上昇したため逆に水害が増えたともいわれます。また、球磨川河口では生態系が変化し、不知火海の漁業に甚大な被害を与えてきました。
 
このようにダムによる環境破壊に苦しめられてきた地元住民および自治体、不知火海漁業者らの強い要望に応え、2002年(平成14年)、当時の潮谷義子県知事は、荒瀬ダムの2010年からの撤去開始を表明し、迷惑なダムがなくなると地元は大喜びしました。
 
ところが、2008年6月、潮谷義子前知事に代わって就任した蒲島郁夫知事は、一転してダム撤去を凍結する方針を明らかにしたのです。ダムの撤去費用とそれに伴う周辺整備費用が、当初予想を超え県の財政を圧迫するなどが理由でした。
 
しかし、2010年3月末に期限が切れる荒瀬ダムの水利権の更新に、地元漁協など関係者の同意を得られる見込みが立たなくなったため、蒲島郁夫知事は、2010年2月、ダムを撤去する方針を再度表明し、2年後の2012年度から荒瀬ダムの撤去が始められることになりました。
 
今後、荒瀬ダムは、脱ダムのシンボルとして、また日本国内において大きなダムの撤去は前例がないため、その撤去工法、環境対策など様々な面から全国的に注目されるでしょうし、ダムが撤去されると、ダム周辺を含め上流、下流の景色も変ったものになるでしょう。荒瀬ダムは、八代駅を出発して肥薩線の3つ目の駅の坂本駅とつぎの葉木(はぎ)駅の間の車窓から見ることができます。乗車される機会があったら注目してみて下さい。
 

2010.03.10  
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