コラム | ・赤とんぼ |
− 赤とんぼ −
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とんぼは5月のゴールデンウィークの頃から飛んでいるのですが、とんぼと言えばやはり秋のイメージがあります。俳句でも秋の季語です。そして、とんぼと言えばやはり『赤とんぼ』ですね。 しかし、『赤とんぼ』とは、体色の赤いとんぼの総称であって、とんぼの正式な呼び名ではありません。私たちが俗に赤とんぼと呼んでいるとんぼは、『秋あかね』(アキアカネ、秋茜)というとんぼが多いようです。 『赤とんぼ』という呼び方が一般的でなじみ深いのは、やはり、童謡『赤とんぼ』の影響が大きいかも知れませんし、『赤とんぼ』という響きに郷愁を感じるのもこの童謡の影響が大きいと思います。 童謡『赤とんぼ』 作詞:三木露風、作曲:山田耕筰 夕焼、小焼の、 あかとんぼ、 負われて見たのは、 いつの日か。 山の畑の、 桑の実を、 小籠(こかご)に、つんだは、 まぼろしか。 十五で、姐(ねえ)やは、 嫁にゆき、 お里の、たよりも、 たえはてた。 夕やけ、小やけの、 赤とんぼ。 とまっているよ、 竿の先。 1921年(大正10年)、三木露風が32歳の時、故郷である兵庫県揖保郡龍野町(現たつの市)で過ごした子供の頃の郷愁から書いたと言われる詩に、1927年(昭和2年)に、山田耕筰が曲をつけてできました。 1889年(明治22年)に、現在の兵庫県たつの市に父・三木節次郎、母・かたの長男として生まれた露風は、5歳の時に両親が離婚し、以降母親とは生き別れで、祖父の元に引き取られて育てられました。 露風の面倒をみたのは、3番の歌詞に出てくる、子守り奉公の『姐(ねえ)や』でした。姐やの背中におんぶされて肩越しに夕焼け、小焼けを見たのはいつのことだっただろう。いっぱい赤とんぼが飛んでいた。 そして、その姐やも15歳で嫁に行ってしまうと、姐やの実家から届く便りも聞けなくなった。と、32歳の露風は幼少の頃を回想します。赤とんぼも最近は、以前より飛んでいるのが少なくなっているように感じます。温暖化の影響でしょうか。 赤とんぼみな母探すごとくゆく 細谷源二 霧島は霧にかくれて赤とんぼ 種田山頭火 トンボロは風の遊び場秋あかね ワシモ かけっこの子らの数だけ秋あかね ワシモ
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2017.11.14 | ||||
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