雑感  ・’05年頭雑感 − 消費社会の中で   
− ’05年頭雑感 − 消費社会の中で −



元旦の新聞に折り込まれている商品広告のチラシのおびただしいこと。それも四つ折を開けば、コタツの天板いっぱいに広がります。そして、二日はデパートや量販店などで初商でした。万円の福袋が飛ぶように売れています。まさに、わが国の消費社会を象徴しています。2005年の年頭にあたり、消費のことについて考えてみました。


消費社会 〜 レジャー化した消費活動


経済成長のおかげで私たちの周りにはモノが溢(あふ)れています。そして、数万円あるいは十数万円の高級ブランドのバッグや靴や服などが飛ぶように売れています。


電気洗濯機、掃除機、冷蔵庫が家庭電化の3種の神器と言われた昭和30年〜40年代(1955〜1965年代)の経済成長時代における消費は、生活を成り立たせるために必要なモノを買うことでした。


今、人は何を求めてモノを買っているのでしょうか? 物を入れて歩くための機能を買うのであれば、数万円あるいは十数万円もかけて高級ブランドの手提げバッグを買う必要はありません。


今や、人は必要なものを買うだけでは豊かさを感じなくなりました。モノ自体の消費から、イメージや感性、おしゃれさやかわいさ、あるいは、かっこよさ、ステータスといった、モノに付属している価値を買うことに消費の主体が移っています。


パリ大学・モンテール校で教鞭をとる社会学者ジャン・ボードリヤール氏は、このような消費を「記号消費」と名付けました。バックやグッズに描かれたブランド名やキャラクター、それは社会的意味を持った「記号」であり、人はそれを買っているというのです。


余分なモノを買うことによってこそ人は豊かさを感じます。必要なものと余分なモノとの落差が大きいほど、消費は私たちに豊かさを感じさせるというのです。物質的な買い物だけでなく、旅行や娯楽、食事などの文化的な買い物についてもしかりです。


そして、消費社会では、消費すること自体がレジャー化し、消費活動そのものが生活であり、生きていることを実感する糧(かて)になっています。


つくられる消費社会


モノの提供側すなわち企業が、大衆消費者のニーズ(必要)に応えるように、新製品が開発され、モデルチェンジがなされているように思われますがそうでしょうか?今持っている携帯電話で、今乗っている車で何の不都合があるでしょうか?


消費が滞(とどこお)れば市場経済が停滞します。新製品を出したり、製品のモデルチェンジをすることによって、現在の「記号」の価値を陳腐化させ、消費意欲を掻き立てているのです。つくられた「記号」を買わされていると言っても過言ではないでしょう。


今、「ワン・トゥ・ワン・マーケティング」や「マス・カスタマイゼーション」というマーケティング用語が話題になっています。


ワン・トゥ・ワン・マーケティングとは、個々の顧客の属性や過去の行動に対応して、企業の活動を変化させるマーケティングであり、マス・カスタマイゼーションとは、商品やサービスを顧客(カスタマー)のそれぞれの好みに合わせて個別提供することです。


たとえば、ホテルでは、宿泊した顧客の料理の好みやルームメーキングへの注文などを克明に記録しておき、次回からは言われるまでもなく、それに従った料理や部屋づくりを提供することで顧客を確保しようという動きが出てくるでしょう。


とても木目の細かい、至れり尽せりの商品やサービスの提供がなされるようになるでしょう。顧客の要望に応えることに違いはありませんが、提供側からすれば顧客の確保、消費意欲の掘り起こしに他なりません。


新製品やモデルチェンジの提供 → 記号価値の陳腐化 → 消費意欲の掘り起こし →新製品やモデルチェンジの提供というスパイラルが際限なく繰り返されることになります。


消費社会と子ども


過剰な情報にさらされっぱなしにされている現代の子どもたちの深層心理に大きな影響を与えているのは、先生や親より、テレビタレントであり、アニメの主人公であると言われています。


子どもたちの興味は、いかに魅力的な商品を持つか、いかに魅力的なメディアと接触するか、いかに魅力的なイベントに参加するかに向けられています。かつては生産に従事していない、未熟者という社会的に弱い立場にあった子供たちが今や消費文化と相性の良い立場にいて、潜在的な消費の先駆的役割を担うようになっています。


消費文化とまったく縁のない、消費文化とは対極にある学校文化の中で自己像を描くことができなくなった子供たちは、消費社会へ自己像を求めて離脱していくことになるでしょう。


学校も肥大化した消費文化にさらされています。消費社会からの情報を安易に遮断したり、規則で強制的に子どもたちを縛(しば)るやり方には、もはや限界があると言われています。では、取り巻く消費社会を見据えて、学校文化はどのようにあれば良いのでしょうか。とても重い大きな課題です。


消費社会は問題か? 


大衆消費社会は、果たして問題なのでしょうか?、問題だとするれば何がどのように問題なのでしょうか? 私たちは、消費することを当然のことのように考えて生活しているように見えます。現在の消費文化は、その問題点を考えてみようとする契機さえわれわれから奪い去っているようです。


消費するにはお金が要ります。思いのままに消費活動をできる経済力があればいいでしょう。わが国の90%の人たちが中流意識だと言われて久しいですが、昨今の雇用情勢をみると、失業やフリーター、ニートが増えています。また、高齢化も進み、これから税金も高くなって行くでしょう。いつまでも思いのままに消費生活を享受できるのでしょうか。また、消費社会がさらに進めば消費できる人、できない人の差も生まれてくるでしょう。


職に就いている人も、消費のために休みもないほど働かなければならない羽目に落っていないでしょうか。


消費に捕らわれ、人間としてより、消費者という市場経済を成り立たせる歯車の一つに過ぎなくなってはいなでしょうか。広い視野で、物ごとの本質を凝視する目や思考が欠如していないでしょうか。人間同士のふれあいや自然とのふれあい、内的な充実といったようなことの価値を見失ってはいないでしょうか。


自分なりの生活スタイルを


同じ先進国でもドイツなどは消費に対する考え方がわが国とはちょっと違うようです。「閉店法」という小売店の営業時間を定めた法律があって、レストランやガソリンスタンドを除いた一般の商店では、月〜土曜日は、午後7時以降は営業できませんし、日曜日は終日、休業と決まっています。買い物に便利なコンビニエンスストアーもありません。


休日は、家族でお金のかからない公園や河原に出て一日を過ごします。ですから、ドイツの人たちは、みんなで共有する環境の美観を大切にします。そして、時間の過ごし方も手作りなわけです。


現代に生きる私たちは好むと好まざるとに関わらず、すでに消費社会の中で生活していて、消費社会から逃れることはできませんが、懐(ふところ)具合とも相談しながら、右へ倣(なら)いの消極的な消費生活一辺倒ではない、自分なりの生活スタイルを考えてみることが必要なのではないでしょうか。


手作りの料理、手作りのガーデニング、日曜大工、公園に出てジョギング、スケッチブックを持って散策、サイクリング、山歩き、自然とのふれあい、歴史とのふれあい、読書など、それほどお金が掛からなくて、内的な充実の得られる、手作りの時間の過ごし方、手作りという豊かさを子どもと一緒に考えてみては如何でしょうか?


【備考】
「消費社会と子ども」については、下記のサイトを参考にしました。
◆Child Research Net 「季刊 子ども学」
 → http://www.crn.or.jp/LIBRARY/KODOMO/VOL09/MOKUJI.HTM
・消費社会と子ども
・消費社会と子どもたちの欲求の位相
・学校文化と消費文化の相克



2005.01.05  
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