コラム  ・十五夜の盗み   
− 十五夜の盗み −

今年(2005年)の十五夜は、9月18日(日)でした。南九州は暑さは残ったものの、快晴の夜で、真ん丸の名月を拝むことができました。


昔、薩摩地方の農家では、十五夜には雨戸を開け放った縁側に、容積が2〜3升はあるような大きな土瓶の花器にススキや萩、女郎花(おみなえし)などを活け、ざるの上に一升枡(ます)を置いて、その中にお供えをしたものです。


そして、子供たちはその夜は、そのお供え物を盗んでも良いという風習がありました。お月さんへのお供えがもう済んだと思われる時刻になると忍び足で盗みに行ったものです。


お供え物は、おはぎや小麦団子、蒸かした里芋やサツマイモ、栗などと相場が決っていましたが、それでも当時の子どもたちにとっては、待ち遠しい行事の一つでした。なかには、お菓子などを入れて置いてくれている家もありました。


十五夜のこの風習は、薩摩地方だけのローカルなものだろうと思っていましたが、ネット検索してみると、意外にも関東や東北などでも行なわれていたという報告がたくさんあって、どうも全国的に行なわれていた風習のようです。


家の人に見つからないように盗む場合もあれば、家の人が黙認するかたちで持って行く場合や、家の人に許可をもらってから持って行く場合など、持って行き方は地方によって異なっていたようです。薩摩地方では、見つからないように盗むのが礼儀だったように記憶しています。


地方によっては、竿の先端に釘を取り付け、その竿を遠くからあやつりながら団子やおはぎ、柿などを突き刺して盗むスタイルがあったようです。


日本では古くから望月(満月)を拝する信仰がありました。満月は豊饒(ほうじょう)のシンボルであり、農業を生業とする地域などでは、十五夜は観月よりも農耕儀礼としての性格が強かったと思われます。


『十五夜の盗み』の謂(いわ)れは、いま一つはっきりしませんが、お供え物がいつの間にかなくなっている、きっとお月さんが持って行ったのだろうと思うことによって、人々は秋の収穫への感謝の念をさらに深めたのかも知れません。


盗んでも良いといっても、決して無作法だったわけではありません。夜、人様の屋敷に忍び足で入り込むのは、ドキドキしたし、後からくる仲間のことを考えて、程よく残してやったり、盗みに行く家もテリトリーが決っていました。


かえって、『盗む』ということについて考えさせられる、そして、月明かりを歩き、秋の七草に触れるなど、知らず知らずのうちに日本の四季が肌で感じられる行事だっだような気がします。


などと書いている著者の家でも、恥ずかしながらここ数年、十五夜のお供えを行なっていません。来年は、子供たちが盗みに来るのを想像しながらお供えをしたいと思います。



2005.10.05  
あなたは累計
人目の訪問者です。
 − Copyright(C) WaShimo AllRightsReserved.−