お便りから  ・硫黄島   
− 硫黄島 − OUR HOME ISLANDとリトルシスターさんのお便りから
硫黄島は、東京の南約 1,080 km、東京とグアムのちょうど中間の太平洋上に浮かぶ東西8km、南北4kmの火山島で、太平洋戦争末期の1945年2月にアメリカ海兵隊が上陸し、1ヶ月間の戦闘で日本の戦死者20,129名、戦傷者1,020名、アメリカの戦死者6,821名、戦傷者21,865名を出す大激戦が繰り広げられた島です。2006年のアメリカ映画『硫黄島からの手紙』が話題になりました。
 
ご祖父母さまが戦前、硫黄島にお住まいで、お母さまが硫黄島生まれだとおっしゃる神奈川県の OUR HOME ISLAND(joe_and_mick)さんのブログ『OUR HOME ISLAND - いおうとう(硫黄島)』に、ネット検索でたどり着いたのは、ちょうど1年前の2007年11月のことでした。
 
熊本県人吉出身の作詞家・犬童球渓の訳詞による名曲『故郷の廃家』にまつわる硫黄島の少年兵のエピソードを調べていたのでした。その時以来、 OUR HOME ISLANDと妹さんのリトルシスターさんから、掲示板に貴重な写真とともにお便りを寄せて頂きました。
 
硫黄島については、激戦地としてのイメージが強いですが、その後、
 
(1)戦前は、190戸余り、1000人余の人たちが生活していた。
(2)絶海の孤島ではあったが、硫黄採取、サトウキビ栽培、コカ栽培、レモングラス栽培、漁業などの産業によって島民の経済状態は悪くはなかったようである。
(3)現在は海上自衛隊管理の航空基地が設置されていて、戦没者慰霊祭が開催される際の旧島民やその遺族、戦没者遺族などの上陸以外は建設関係者を除き、一般人の硫黄島上陸は許可されない。
(4)帰島を希望される方たちがいらっしゃる。
 
ことなどを知りました。OUR HOME ISLANDとリトルシスターさんから掲示板にお寄せ頂いた写真とお便りを以下に掲載させて頂きました。 〜ワシモ(WaShimo)〜
 
 
1.硫黄島の風景 
 
小笠原の海の夕暮れ。摺鉢山(すりばちやま)に向かって飛び立つ自衛隊機。あと、爆撃で倒れて、そのまま炭化し、今でも地熱によってくすぶり続けているタコノキです。映像を見ていると、改めてすごい島だったなと思います。
 
     
小笠原の海の夕暮れ

 摺鉢山に向かって飛び立つ自衛隊機

くすぶり続けるタコノキ(硫黄が丘)
 
硫黄島の写真をまた上げさせていただきます。一枚はあまりにも有名になったレリーフです。今、文化遺産への落書きが話題ですが、実はこれは少し違う意味合いを持っているそうです。そもそも民間人はほとんどは入れません島ですし。島を訪れた米兵の生き残りや、子孫達が、『英雄は君たちだけじゃないんだ。』と言う思いをこめて、砂岩に掘り込んだものだそうです。もろい砂岩でした。レリーフのところどころ、穴が開いているのがわかりますでしょうか? 『お前らばっかが、英雄に祭り上げられやがって。』と怒った兵隊たちが、銃弾を打ち込んだ痕で、中には銃弾が確かに入っていました。
 
もう一枚は北観音とマリア観音です。栗林中将の前任者の和智さんが後に仏門に入られて、初代硫黄島協会の会長さんになられた、のは知っていたのですが、その和智さんが慰霊の観音さまを祀ったものは、一度、(おそらく米兵によって)紛失か遺棄されたそうです。外務省などから、和智さんは猛烈に抗議し、アメリカが建立したものが、後ろの観音像でしたが、納得のいかない方々が多く、改めて、観音像を立て直したそうです。ただ、アメリカの建てたものとはいえ、観音様の似姿を壊すのは忍びないと言うことで、マリア観音として残されたようです。
 
マリア観音は北観音の真後ろに、控えています。確か、天草以来の隠れキリシタンの信仰で、マリアさまと観音様を混交していることがあったような。どちらも慈母のお顔をしておられました。お花は、自衛隊の基地に咲いていました。日差しの中で輝く花の赤さが、なんだか切なかった一枚です。(2008/07、リトルシスターさんより)
  
          
銃弾が残るレリーフ

北観音とマリア観音
          
あおそらに、なにをわらうか、あかいはな  リトルシスター
 
 
2.硫黄島のイメージを伝えたい
 
『歴史を紐解くことは未来への力になるのだ。歴史を繋ぐ事は今を生きる人間の義務だ。』と、故恩師が言っておりました。当時は重みを持たなかった言葉を、少しは理解できてきた気が致します。では、硫黄島についてイメージを持っていただくように、拙いながらもお伝えすることが、私の精一杯なので。。。またしても、硫黄島の写真です。
 
硫黄島はもともと、こういうワイルドな島だったようです。硫黄の吹き出る、硫黄が丘の光景です。ここで、母達はたくましく、日々生きていたそうです。彩のくっきりした、南国の光景です。島の地図では沈潜群と呼ばれているところです。アメリカの上陸を阻むための抵抗をした名残です。日本もアメリカも多大な犠牲をだした事を考えると、海の青さに目がにじんできます。
 
摺鉢山から、アメリカの上陸地点を写しました。平穏そのもの、美しい光景は悲劇を抱えているからかも知れないですね。拙い画ですが、兄同様、美しく自然に恵まれた島であり、悲劇激闘の島であると、言うイメージを、伝えていけたらいいなと思っております。(2008/07、リトルシスターさんより)
 

沈船群

摺鉢山から写したアメリカの上陸地点
 
 
3.帰島の願い

 
硫黄島への、旧島民の帰島、在住については、現実には、多くの解決しなければいけない課題があると思っています。私も、『帰島』という言葉に対しては、『現実にすぐに帰る希望などではなく、旧島民のスローガンとしての意味が大きいのだろう。』と、以前は思っていました。
 
ところが、昨年の6月に帰島墓参に参加した時に、何人かの先輩方と話して、『今すぐに、数人ででも、帰ることを強く希望。自衛隊や、建設の人たちのライフ・インフラはある。』と、本気で、『間に合わなくなる前に自分が、数人が、できるだけ多くの希望者が、帰って住むこと』を希望している人たちが、いることを知りました。
 
『希望、夢』があって、実現に向けての具体的な解決策に向けての行動が続くのだろうと、今では考えています。『念ずれば花ひらく』、熊本県出身で、平成18年永眠まで愛媛県でご活躍だった詩人の坂村真民さんのお言葉です。下の写真は、島を象徴する摺鉢山の写真で、今年(2008年)の訪問の時に撮影したものです。(2008/08、OUR HOME ISLANDさん より)
 

島を象徴する摺鉢山の写真(1)

島を象徴する摺鉢山の写真(2)

島を象徴する摺鉢山の写真(3)
 
 
4.「硫黄島」の硫黄
 
島の名前のとおり、硫黄島には硫黄があります。下の写真は、噴出している硫黄の写真です。戦前の元山部落があった場所の近く、硫黄ヶ丘と呼ばれる場所に、数箇所、このような噴出孔が見られます。一帯が地熱で熱いですが、噴出孔に近づいた時に、風向きで熱い硫黄臭を含む水蒸気が顔に当たります。(2008/10、OUR HOME ISLANDさん より)
 

硫黄の噴出孔
 
【備考】
(1)OUR HOME ISLANDさんの『OUR HOME ISLAND - いおうとう(硫黄島)』は
   → http://blog.goo.ne.jp/joe_and_mick
(2)レポート ・『故郷の廃家』と硫黄島 は、
   → http://washimo-web.jp/Report/Mag-Inudou.htm
 

  2008.10.28 
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