♪雲雀(チャイコフスキー)
Piano1001

      
旅行記 ・瑞鳳殿 − 宮城県仙台市  2010.03
      
ずいほうでん
瑞鳳殿
(国宝)
仙台藩祖・伊達政宗公の霊屋『瑞鳳殿』

仙台藩祖・伊達政宗(1567〜1637年)は、生前に自らの死後は、遺骸を仙台経ヶ峰に葬ることを遺言し、70歳で生涯を閉じました。後を継いだ二代藩主・伊達忠宗は、政宗の遺言に従い、翌1637年(寛永14年)政宗の御霊屋(おたまや、霊廟)を建立し『瑞鳳殿』と命名しました。瑞鳳殿は、本殿、拝殿、唐門、御供所、涅槃門からなります。桃山様式の威風を伝える豪華絢爛な廟建築として1931年(昭和6年)には国宝に指定されましたが、1945年(昭和20年)の戦災で焼失。現在の建物は、1979年(昭和54年)に再建されたものです。

 
ねはんもん
涅槃門
瑞鳳殿への入口『涅槃門』、後方が『瑞鳳殿』 
『涅槃(ねはん)』とは『煩悩(ぼんのう)を取り払った悟りの境地となる状態』を意味し、広くは『来世(らいせ)』という意味になります。瑞宝殿の涅槃門は、樹齢数百年の秋田桧葉を用いて、焼失前と同様の豪華な飾り彫刻が施されています。
 
かんせんでん
感仙殿
(国宝)
第二代藩主・伊達忠宗公の霊屋『感仙殿』
第二代藩主・伊達忠宗公(1599〜1658年)は、政宗公の治世を引き継ぎ、法治体制の確立を進め、新田開発や治水、港湾の整備など産業・経済の振興をはかり領内の安定に尽力し、藩の基礎固めをなしとげました。
『感仙殿』(手前)と『善応殿』 
第二代藩主・伊達忠宗公(1599〜1658年)の御霊屋(おたまや)である感仙殿は、瑞鳳殿と同様華麗なもので、1931年(昭和6年)に国宝に指定されましたが、戦災により焼失しました。戦後、瑞鳳殿に続いて1985年(昭和60年)に再建されました。
 
 ぜんおうでん
善応殿
第三代藩主・伊達綱宗公の霊屋『善応殿』(手前)、向こうは『感仙殿』
第三代藩主・伊達綱宗公(1640〜1711年)の御霊屋(おたまや)である善応殿は、戦災で焼失し、戦後感仙殿と共に再建されました。綱宗公は、19歳から2年ほど治世の後、故あって幕府から逼塞(ひっそく)隠居を命ぜられましたが、その後の生涯は書画・蒔絵などに天分を発揮し、優雅な余生を送ったといわれています。このページの説明文は主に、現地で頂いた瑞鳳殿のパンフレットを参考にして書きました。
         
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