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旅行記 ・山鹿灯籠まつりを訪ねて − 熊本県山鹿市 2007.08.16 |
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山鹿灯籠まつり | |||||
毎年 8月15日と16日の二日間、 山鹿の街は、 『よへほ節』の調べと光の波に つつまれます。
頭に載せた灯籠に 灯かりをともした浴衣姿の女性たちが、 よへほ節の調べにあわせて踊る 山鹿灯籠まつりは、 灯籠師に依頼して各町ごとに作った燈籠を 大宮神社に 奉納する祭りです。 よへほ節は、 明治以降地元で愛誦されていた 民謡でしたが、 昭和8年(1933年)に野口雨情に歌詞の 改作を依頼してできたものが、 今日のよへほ節です。 『よへほ節』 ♪ 主は山鹿の 骨なし灯籠 ヨヘホ ヨヘホ 骨もなけれど 肉も無し ヨヘホヨヘホ ♪ 山鹿灯籠は夜明かし祭り ヨヘホ ヨヘホ 町は火の海 人の波 ヨヘホ ヨヘホ ♪ 心あらせの蛍の頃に ヨヘホ ヨヘホ とけし思いの 忍び唄 ヨヘホ ヨヘホ よへほ節は、 灯籠の明かりの揺らめき のように、 ゆったりと唄われます。 女性たちが 頭に載せる灯籠は、 金灯籠と呼ばれ、 室町時代以来の長い歴史を 有しています。 この金灯籠は、 どう見ても金属にしか見えませんが、 実は 木や金具は一切使わず、和紙と少量の糊だけ で作られている ということですから驚きです。 景行天皇が、 九州御巡行の際、 加茂の浦の湖(現山鹿市内)で濃霧が 立ちこめていく手を阻んだので、 里人たちが手に炬火(たいまつ)をかかげて 御一行を 無事案内しました。 その時以来、 里人たちが行在所跡(現在の大宮神社)に 天皇を祀って、 毎年灯火を献上したのが 山鹿灯籠の 由来だといわれています。 16日の夜、 山鹿小学校グラウンドで 行なわれる 『千人灯籠踊り』で 祭りはクライマックスに達します。 踊り手の900名は地元の 女性ですが、外部からも100名を 公募します。 1000基の 金灯籠が一堂に会し、闇夜に揺れます。 なんて幻想的な光景 でしょうか。 そして、 山鹿灯籠祭りは、 夜明かし祭り。 街々に飾られていた 灯籠を 大宮神社に奉納する『上がり灯籠』は 17日未明まで続きます。 |
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