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 旅行記 ・妻籠〜馬籠を訪ねて − 南木曽町・中津川市  2006.05 
妻籠宿
(長野県木曽郡南木曽町、重要伝統的建造物保存地区)
鹿児島空港を朝8時の中部国際空港行きに乗ると、12時過ぎには
JR中央西線南木曽駅に着きます。
"南木曽”は、”なぎそ”と読むんだったのです。
馬籠行きのバスが出たばかりなので、保神行きを利用すると乗客は一人。
バスは新緑の雨の中を行きます。
  
町営のバス専用駐車場がバス停になっていて、降り立つと雨は本降り。
妻籠や、雨の日の一期一会。
雨は降っても妻籠は妻籠、ならば雨の旅情を楽しもう。
一泊する宿屋は、民宿風の『阪本屋』。夫婦でやっています。
3時から部屋に入れますとのこと。中津川駅で買った釜飯弁当を食べたいんだけどと言うと、
小母ちゃんはどうぞどうぞと居間に通してくれます。
  
ちゃぶ台を広げてお茶を入れてくれ、デザートにりんごまで剥いてくれます。
そして、小母ちゃんは釜飯弁当を食う僕の横でテレビのバラエティーショーを見ながら、
けらけら笑っています。
  
外に出ると、雨は小降りに。
妻籠宿(つまごじゅく)
江戸と京を結ぶ中山道(なかせんどう)は、山深い木曽路を通ることから木曽街道と呼ばれていました。
中山道六十九次のうち江戸から数えて四十二番目となる妻籠宿は、
中山道と伊那道が交叉する交通の要衝として古くから賑わいをみせていました。
ゴールデンウィーク明けの5月の中旬だというのに寺下の町並みは、
観光客でごった返しています。
外国人、特に韓国や中国系の観光客も多いでした。
だから、昼間はとても写真は撮れません。
  
しかし、夕暮れが迫り、行燈を模した街燈に灯が入れられる頃になると、
人っ子一人いなくなり、江戸時代の宿場の姿を色濃く残す町並みは
幻想的な佇まいを見せます。
以上の写真は、寺下の町並み
寺下の町並み
時代が変わり明治になると、鉄道や道路が新たにつくられ、宿場としての機能を失った妻籠宿は
衰退の一途をたどりました。やがて、昭和になり経済成長の中、
江戸時代の宿場の姿を色濃く残している町並みが見直され、全国に先駆けて保存運動が起きました。
妻籠の人たちは、町並みを守るために家や土地を『売らない・貸さない・壊さない』と
いう3原則をつくり、ここで生活しながら、
江戸時代の町並みという貴重な財産を後世に伝えているのです。

〜南木曽町観光協会パンフレットより〜
旅人宿・阪本屋
宿泊した阪本屋は、妻籠宿本陣の三軒隣りにあります。
夕食でアルコールを何も注文しなかったので、気を使って頂いたのか、
ご亭主からハーフグラスの白ワインのサービスがありました。
 
美味しかったので、山梨ワインですかと言ってしまうと、諏訪のワインですと。
そうだ、ここは長野県だったんだ。
ワインは白、特にドイツワインが良いですね、というと
口コミなんでしょう、うちの宿はドイツのお客さんが多いんですよ、
とおっしゃいます。
 
翌朝、軽トラックで南木曽駅まで送りましょうというご亭主に
お礼いを述べ、タクシーで馬籠まで行くことにしました。
妻籠宿の本陣
 妻籠宿本陣
妻籠宿の本陣は、代々島崎氏が務めました。馬籠の島崎氏とは同族で、幕末にも妻籠から「ぬい」が、
馬籠の正樹(「夜明け前」の主人公青山半蔵)のもとに嫁ぎました。
7人の子供をもうけ、末子が春樹(島崎藤村)でした。藤村の次兄広助は、
妻籠宿本陣の養子となり、最後の当主となりました。その後、本陣は取り壊されましたが、
1995年(平成7年)に復元されたのが現在の建物です。
〜現地案内板より〜
脇本陣奥谷
 脇本陣奥谷
代々脇本陣・問屋を務めた家で、現在の建物は明治10年にそれまで禁制であった桧を
ふんだんに使い、当時の粋を集めて建てたものです。
島崎藤村の初恋の「ゆふ」さんの嫁ぎ先であることでも知られています。南木曽町博物館にもなっています。
寺下通りの家々の格子窓や玄関には、写真のように花が思い思いにアレンジされて飾られています。
町営第1駐車場
翌日は、雨も上がって新緑が一層鮮やかでした。
馬籠峠
中山道の難所の一つ。昭和年代になって頂上が10数メートルほど削られて低くなり、
現在の海抜は801mです。この峠が妻籠宿と馬籠宿の境になり、
正岡子規の『白雲や青葉若葉の三十里』の句碑が道標を兼ねて建っています。
馬籠宿
(岐阜県中津川市馬籠)
馬籠は、美濃との国境にあり、木曽路十一宿の最南端の宿場町。
江戸から数えて四十三番目の宿場。中山道が急な山の尾根を通っていることから、
『坂に開けた宿場』となっています。馬籠は、2005年(平成17年)2月、
もともと生活圏だった岐阜県中津川市と合併して、旧長野県山口村から岐阜県中津川市馬籠となりました。
馬籠脇本陣資料館前
馬籠の宿場は、水利が悪くまた吹き上げる風が強いことからしばしば大火に見舞われ、
とりわけ明治28年と大正4年の大火によって江戸時代の民家は
ことごとく消失してしまいました。したがって、妻籠と対照的に、真新しい和風の建物が立ち並んでいて、
地形的な条件からもオープンで明るい雰囲気が漂っています。
藤村記念館前
『木曽路はすべて山の中である』で始まる島崎藤村の小説『夜明け前』は、
馬籠の宿場を舞台に書かれています。
宿場の丁度中腹にある『藤村記念館』は、かつて藤村の生家・馬籠本陣島崎家の建っていた縁の場所に
建てられた記念館です。記念堂・記念文庫・第二文庫・隠居所で構成され、
『夜明け前』の原稿や夏目漱石からの手紙などが展示されています。
馬籠宿を下り切ると濃飛バスのバス停があります。バスを使ってJR中津川駅まで出ました。
写真は、観光バス駐車場から望む南アルプスの山々。
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