休屋(やすみや)港に停泊中の遊覧船 |
今年(2013年)、九州では例年に比べて1週間から10日も早く桜が開花しました。なので、東北も桜の開花が早いのではないかと期待して、桜前線を追っかけて出かけた東北旅行でしたが、4月21日の青森は、桜の開花どころか、ご覧のように雪が舞っていました。旅行雑誌に載っているような湖面の青々とした風景どころか、十和田湖の全容も見えぬままでしたが、これもまた真実の風景。早春の十和田湖と奥入瀬渓流の風景をアップしました。 |
観光バスを降りる観光客たち |
十和田湖 十和田湖(とわだこ)は、青森県十和田市、秋田県鹿角郡小坂町にまたがる湖で、十和田八幡平国立公園内にあり、日本で12番目の面積規模を有する湖沼。内水ながら、国の地方港湾である子ノ口港、休屋港の二港があります。十和田火山の噴火で形成された二重カルデラ湖で、現在も活火山に指定されている。最大深度327mは日本第3位。流出河川は、奥入瀬川で、東北に流れて71kmで太平洋に注ぎ出ています。う話しを |
只今休業中の休屋湖畔のスワンボート乗り場 |
和井内貞行 十和田湖は、かつては魚が一尾も棲まない、誰も観光に訪れない湖でした。そんな十和田湖が、ヒメマス(姫鱒)の移植用卵および稚魚の供給源として重要な位置を占めるようになると共に、東北旅行の重要な観光スポットになったのは、ひとえに、和井内貞行とその一家の苦節22年の苦労と努力によります。 |
乙女の像 十和田湖畔、休屋の御前ヶ浜にある十和田湖のシンボル乙女の像は、十和田湖を広く世に紹介した文人・大町桂月や当時の青森県知事、地元村長の功績をたたえ、国立公園指定15周年を記念して昭和28年(1953年)に建立されたものです。2人の裸婦が向かいあっている一対の像で、詩人で彫刻家の高村光太郎の最後の彫刻作品として広く知られています。台座には智恵子夫人の故郷、福島産の黒御影石が使用されています。 |
十和田湖遊覧船 遊覧船による湖上観光にはAとBの2つのコースがあります。Aコースは、休屋(やすみや)と子ノ口(ねのくち)を結ぶ運航で、十和田湖全体を遊覧できます。Bコースは、休屋を出発してまた休屋に戻ってくる中ノ湖周遊コースで、十和田神社・占場を巡り船上祈願ができるコースもあります。所要時間はいずれも50分。 |
造船所 十和田湖の遊覧船は、3階建てくらいある大きな船です。では、こんな大きな船をどうやって運んだのか疑問になります。十和田湖に通じる道は曲がりくねった山道ばかり。まさか、奥入瀬川を上ってきたのでもないでしょう。実は、宇樽部に専用の造船所があり、ここに機材や部品を運んでおいて組立てるのだそうです。 |
見返りの松 |
見返りの松 十和田湖に細長く突き出た中山半島の最北端に生えた二本の松。仲良く寄り添っているように見えることから、夫婦松とも呼ばれているそうです。剪定等、人工的な加工が施されていないのが特徴。通り過ぎた後にまた振り返って見たくなることからそう呼ばれるようになったそうです。 |
青い湖面と断崖 |
青い湖面と断崖 十和田湖は最大深度が 327mあって日本の湖で第三位(一位・田沢湖、二位・支笏湖)で透明度も高いので、湖面の青さが特徴の一つ。湖水は見る方向により群青色や紺碧に色を変えるそうです。湖岸も断崖が多く自然のパワーが感じられます。 |
十和田神社占い場 十和田神社は鎌倉時代以前からの修験宗徒(山伏)の修行場として知られ、江戸時代には、恐山とともに南部藩の二大霊場とされた神社だそうです。占い場は、十和田湖の主・南祖坊が入水し青龍権現に生まれ変わったところとされ、十和田湖随一の霊場(パワースポット)でなっています。今でも多くの占い師・祈祷師・イタコなどがその霊力を高めるために訪れるそうです。 |
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おいらせけいりゅう
奥入瀬渓流 |
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奥入瀬歩道案内図 |
奥入瀬渓流 カルデラ湖である十和田湖の水が東北の方向にあふれ出てできたのが奥入瀬(おいらせ)川で、71km流れ下った太平洋に注ぎ出ています。このうち、湖畔の子ノ口(ねのくち)から焼山までの14kmの区間を奥入瀬渓流といい、標高差が約200mあります。 |
積雪を残す奥入瀬渓流の流れ |
奥入瀬渓流を形成している谷は、溶結凝灰岩(火山灰や軽石の堆積物)が侵食されてできた谷で、両側に連なる岩壁や谷底に横たわる大きな岩が侵食の様子を物語っています。岩壁には数多くの滝がかかり、変化に富んだ流れとともに日本有数の渓流美を形づくっています。〜 以上、現地案内板より |
奥入瀬川本流にかかる銚子大滝 |
銚子大滝 奥入瀬川本流にかかる唯一の滝。高さが約7m、幅20mほど。別名を『魚止めの滝』といいます。ほぼ直角に切り立っているため魚類がこの滝を上れず、十和田湖にはかつで魚一尾棲んでいなかったといわれます。そこで、滝のすぐ下で合流してい寒沢の流れに沿って魚道がつくられたこともありました。滝の名の由来は、十和田を銚子(とっくり)に、この滝付近をその注ぎ口に見立てたことによるらしです。
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裸木のなかで全容を現わしている白糸の滝 |
白糸の滝 奥入瀬渓流には、三乱(さみだれ)の流れ、阿修羅の流れと言った綺麗な流れがあるとともに、子ノ口の方から下流に沿って左岸に、九段の滝、不老の滝、白糸の滝、白絹の滝、白銀の滝、右岸に、姉妹の滝、雲井の滝、双(とも)白髪の滝、玉簾の滝、雲井の滝など、多くの滝が流れ込んでいます。そのうち、白糸の滝は、落差約30mの滝です。 |
石ヶ戸 |
石ヶ戸 『ヶ戸』とは、この地方の方言で小屋を意味します。したがって、『石ヶ戸』とは、石でできた小屋、いわゆる岩屋を意味しています。実際、大きな岩の一方がカツラの巨木にのって支えられて岩小屋のように見えます。昔、鬼神のお松という美女の盗賊がここをすみかとし、旅人から金品を奪っていたという伝説があるそうです。 |
石ヶ戸の瀬 |
石ヶ戸休憩所 石ヶ戸は、奥入瀬渓流のちょうど中間点にあり、30台位駐車できる駐車場と大きなトイレ、そばやうどん、ソフトクリーム、おにぎりなどの軽食コーナーと自動販売機がある売店などが完備された無料休憩所になっています。休憩所から階段を降りてすぐのところに『石ヶ戸』があります。 |
石ヶ戸の瀬 |
大町桂月 明治から大正にかけての随筆家、評論家の大町桂月(おおまちけいげつ、高知県出身)は、十和田湖と奥入瀬渓流、蔦温泉(十和田市)をこよなく愛して、『住まば日本、遊ばば十和田、歩きゃ奥入瀬三里半』と詠み、十和田湖と奥入瀬渓流、蔦温泉を世に紹介しました。 |
石ヶ戸の早瀬 奥入瀬は、奥に入るほど瀬が多くなることからそう呼ばれるようになったのだそうです。石ヶ戸の辺りは比較的川幅が広く、ゆったりと流れる川岸にそって遊歩道を散策できます。しかし、歩いて少し下ると早瀬になり、奥入瀬川は変化に富んだ景観を見せます。 |
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