♪トロイメライ(夢)
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旅行記 ・日光東照宮 −栃木県日光市  2011.02
日光東照宮

石鳥居と表門(いずれも重文)

五重塔(重文)
表門(おもてもん)〔重文〕
東照宮最初の門で、左右に仁王像が安置されているところから仁王門とも呼ばれています。
  
三神庫(さんじんこ)〔重文〕
上神庫・中神庫・下神庫を総称して三神庫と言い、この中には春秋渡御祭「百物揃千人武者行列」で使用される馬具や装束類が収められています。
石鳥居〔重文〕
創建の翌年の元和4年(1618年)、九州筑前(福岡県)藩主黒田長政公によって奉納されました。
  
五重塔〔重文〕
慶安3年(1648年)若狭の国(福井県)小浜藩主酒井忠勝公によって奉納されました。文化12年(1815年)火災にあいましたが、その後文政元年(1818年)に同藩主酒井忠進公によって再建されました。
表門の仁王像
 三神庫(さんじんこ)の石燈籠
 三神庫(さんじんこ)(重文)
三神庫の『想像の象』(写真上)
想像の象 三神庫の一つである上神庫(かみじんこ)の屋根の下に、白と灰色の2頭の象の彫刻が施されています。しかし、耳や尻尾が実物の象と異なっています。江戸時代の狩野派を代表する絵師・狩野探幽(かのうたんゆう)が下絵を描いたものですが、当時の日本にはまだ象がいなかったため、探幽は伝え聞いた象を想像して描きました。そのため『想像の象』と呼ばれています。
神厩舎・三猿(しんきゅうしゃ・さんざる)
三猿 神厩舎は、ご神馬をつなぐ厩(うまや)です。昔から猿が馬を守るとされているところから、長押上には猿の彫刻が8面あり、人間の一生が風刺されています。中でも『見ざる・言わざる・聞かざる』(写真上)の三猿の彫刻が有名です。目・口・耳をふさぐ猿は幼年期の猿で、子供のころは悪い事を見たり・言ったり・聞いたりしないで、素直なままに育ちなさい、という教育論の意味が込められています。
三神庫の前より輪蔵(左手)や陽明門(中央)を望む
陽明門(国宝)
『東照大権現』の額
陽明門でとりわけ見事なのが、当時の最高峰の技術による500を越える彫刻の数々です。いつまで見ていても見飽きないところから『日暮の門』ともよばれています。正面唐破風下には元和3年(1617年)に後陽成天皇から賜った「東照宮大権現」の額が掲げられています。
  陽明門(ようめいもん)〔国宝〕
日光東照宮の象徴的な建築である陽明門は、寛永12年(1635年)に建てられもので、三間一戸、八脚楼門、入母屋、四方軒唐破風、銅瓦葺きの楼門建築です。陽明門の名称は、宮中(現京都御所)にある十二門のうちの東の正門が陽明門で、その名をいただいたと伝えられます。
陽明門の彫刻
陽明門の彫刻
陽明門の彫刻
陽明門の柱(4本中の3本)

廻廊(かいろう)〔国宝〕 陽明門の左右に延びる建物で、外壁には我が国最大級の花鳥の彫刻が飾られています。いずれも一枚板の透かし彫りには、極彩色がほどこされています。

逆柱(さかばしら) 陽明門の4本の柱のうち1本だけ、彫刻の模様が逆向きになっています。これは、『建物は完成と同時に崩壊が始まる』という伝承を逆手にとり、わざと柱を未完成の状態にすることで災いをさけるという、言わば魔除けのために逆柱にしたとされています。
 逆柱(3本中の1本)(写真上)
陽明門の下から見た本地堂(奥の建物、重文)と廻廊(国宝)
鳴き龍 鳴き龍と呼ばれて有名な龍の絵は、本地堂(薬師堂)の内陣天井に描かれています。龍の頭の下で拍子木を打つと、天井と床が共鳴して鈴のような鳴き声に聞こえることからそう呼ばれています。もとの絵は狩野永真安信の筆によるものでしたが、昭和36年(1961年)の火災によって堂とともに焼失したため、昭和43年(1968年)堅山南風画伯筆で復元されました。撮影禁止でした。
本地堂から見る廻廊(左手)と鼓楼(右手前)・鐘楼(右手向こう)
輪蔵(経蔵)(重文)
神輿舎(しんよしゃ)(重文)
眠り猫〔国宝〕
陽明門をくぐり右に行くと奥社に通じる道にかかる門に施されてある彫刻が、とりわり有名な『眠り猫』(写真右)。左甚五郎作と伝えられます。前足をしっかりと踏ん張っていることから、実は家康を護るために寝ていると見せ掛け、いつでも飛びかかれる姿勢をしているともいわれ、裏で雀が舞っていても猫も寝るほどの平和を表しているともいわれます。
輪蔵(りんぞう)〔重文〕 陽明門へ上がる手前にある唐銅鳥居(からどうとりい)をくぐった左手にあるのが
『輪蔵』(写真上)です。仏教の経典を納める経蔵(きょうぞう)ですが、一切経1456部、6325巻を納めた8角形の回転式の書架が置かれていることから『輪蔵』という名前が付けれたそうです。
  

神輿舎(しんよしゃ)
〔重文〕 陽明門をくぐって左手奥にあるのが神輿舎(写真左)です。春秋渡御祭(5月18日、10月17日)に使われる、三基の神輿(みこし)が納められています。
眠り猫(国宝)
二荒山神社(ふたらさんじんじゃ)
日光の3つの山、男体山(二荒山)、女峯山、太郎山の山の神を総称して二荒山(ふたらさん)大神と称し、主祭神としているのが日光二荒山神社(写真上)です。
    
輪王寺・法華堂
輪王寺・法華堂〔重文〕は、慶安2年(1649年)に建てられ、桁行3間、梁間4間、宝形造り、向拝一間、銅瓦葺きです。中央の須弥壇には本尊である普賢菩薩をはじめ、鬼子母神や十羅刹女などが安置されています。
    
風景
お土産屋が建ち並ぶ観光センター付近の風景
日光東照宮の南東付近を行く車窓から東照宮方向を望む風景
   
日光東照宮 
日光東照宮(にっこうとうしょうぐう)は、江戸幕府初代将軍徳川家康を神格化した東照大権現を祀る神社で、日本全国の東照宮の総本社的存在。元和3年(1617年)の創建。元和2年(1616年)4月17日、徳川家康が駿府(静岡)で死去すると遺骸は直ちに駿河国の久能山へ葬られ、翌元和3年に下野国日光へ改葬されました。同年4月に社殿が完成し、朝廷から東照大権現の神号と正一位の位階の追贈を受け、4月8日に奥院廟塔に改葬され、4月17日に遷座祭が行われた。家康が日光に改葬されたのは、『遺体は久能山におさめ、一周忌が過ぎたら、日光山に小さな堂を建てて勧請し、神としてまつること。そして、八州の鎮守となろう』という家康本人の遺言によるものでした。家康が目指した『八州の鎮守』とは、日本全土の平和の守り神であり、家康は、不動の北極星の位置から徳川幕府の安泰と日本の恒久平和を守ろうとしたと言われます。 尚、現在のおもな社殿群は、三代将軍家光公によって、寛永13年(1636年)に造替されたものです。(ウィキペディアより)
日光東照宮と陰陽道 
日光東照宮は、陰陽道に強い影響を受け、本殿前に設けられた陽明門とその前の鳥居を中心に結んだ上空に北極星が来るように造られているといわれます。また、その線を真南に行けば江戸へ着くとされ、さらに主要な建物を線で結ぶと北斗七星の配置と寸分違わぬよう設計されているといわれます。(ウィキペディアより)
   
【参考サイト】
(1) ウィキペディア-日光東照宮のページ
(2) 日光東照宮ホームページ
 
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