母子の対面像(向田町側) |
その間、左近尉とお熊は二人の姉弟にきつく命令し田に集る雀の群れを追わせました。来る日も来る日も、雨の日も風の日も鳥追舟に乗って雀を追わなければなりませんでした。あまりのつらさに思いだすのは母柳御前のこと、母も我が子二人が恋しくてたまらず、三人は人目を忍んでは母逢の渡しで川をはさんでいつもこの川岸に出て逢って共に涙を流していたという悲話の秘められた地であります。
現在の橋は、平成元年に架けられた近代的な橋でその名称も『母合橋』と記され、橋の親柱には伝説を物語る母と子が対面する姿、欄干には雀を追う姉弟の姿等がデザインされ当時を忍ばせています。 |
(川内市教育委員会の現地説明板より) |
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『日暮長者伝説』と『母合橋』 |
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昔、ここは『母逢いの渡し』と呼ばれ、この地にまつわる『日暮長者伝説』が残っています。室町時代の謡曲『鳥追舟』であり、江戸時代の三国名勝図会の『日暮の里』であります。
向田町日暮岡に日暮長左衛門という長者が住んでいました。この長者には、今の宮里町清水生まれの柳御前という妻と、娘お北と息子花若丸の二人の姉弟がいて幸福な日々を送っていました。長者の家臣左近尉は悪巧みをして、日暮長左衛門と柳御前とを離婚させ、左近尉と親しいお熊の方と結婚させました。その後長者は土地問題で京に行き十年余の歳月が流れます。 |
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母子の対面像(宮里町側) |
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