旅行記 ・入来薪能(いりきたきぎのう) − 鹿児島県薩摩川内市 On 2005.08.27 | |||||||||||
〜 薩摩守『忠度(ただのり)』 〜 ◆レポート 『薩摩守忠度』も併せてご覧下さい!◆ |
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鹿児島県の北西部にある薩摩川内市入来町は、 川の自然石を使った独特の玉石垣に囲まれた武家屋敷群跡の残る町です。 この町では、毎年薪能が開催されています。 第6回の今年は、観世銕仙会(てっせんかい)のみなさまによって、 薩摩守『忠度』が演じられました。 |
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〔物 語〕 須磨の山里に人知れず咲く山桜。 旅の僧は、その木のもとに手向けをする木こりの老人と出会います。 一夜の宿を乞う僧に、 老人はこの花の下ほどの宿があろうかと勧めます。 |
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この桜の木こそは、一の谷の合戦で討ち死にした薩摩守忠度(平忠度)を 弔うために植えられた木だったのです。 やがて老人は何処ともなく消え失せ、その夜の僧の夢に在りし日の忠度が現れます。 |
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得ていた人でした。一の谷の戦いで奮戦するも、源氏方の武将・岡部忠澄に腕を切り落とされて観念し、 静かに念仏を唱えながら首を討たれたといわれます。忠度、享年41才。 |
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忠度のただ一つの心残りは、都落ちの混乱の中で都に引き返し、師である 藤原俊成(しゅんぜい)に託した和歌の一つが、「千載集」に入集されるも、”詠み人知らず”とされたことです。 『ささ波や志賀の都は荒れにしを昔ながらの山桜かな』 |
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旅の僧の夢に現れた忠度は、俊成に和歌を託して都落ちし、一の谷の合戦で 岡部忠澄と組み合い、討たれてしまう様子を詳しく語ります。 |
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忠度は、名を名乗らずに討たれましたが、箙(えびら=矢を入れて背に 負う道具)に結びつけていた短冊に書かれていた和歌から忠度であると知れたというのです。 『行き呉れて木の下蔭を宿せば花や今夜のあるじならまし』 |
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