『(高取)焼静山窯』の看板が見えます(写真右中央) |
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小石原焼 |
福岡県の中東部の中山間地域に位置する東峰村小石原(こいしわら、旧小石原村)は、330年の歴史を持つ民陶(民藝陶器)小石原焼の村です。小石原焼は、1682年に時の黒田藩主・黒田光之が伊万里から陶工を招いて窯場を開いたことに始まり、主に生活雑器が焼かれてきました。 |
『高取焼宗家静山窯』への入口 |
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高取焼(1) |
その小石原にあって、『遠州七窯』の筆頭で黒田藩御用窯の伝統を今に受け継いでいるのが『高取焼宗家』です。小石原における『高取焼』は、1665年(寛文5年)、二代・高取八蔵貞明が白旗山(現・飯塚市幸袋)から東峰村大字小石原鼓(現在の高取焼宗家の地)に移り住み、窯所を開いたことに始まりました。 |
筑前黒田藩の御用窯であった取焼は、黒田長政が朝鮮出兵の折に連れ帰った朝鮮人陶工・八山(はちさん)が慶長5年(1600年)、現福岡県直方市郊外の鷹取山(たかとりやま)南麓に永満寺窯を築いたことに始まります。この初代八山・八蔵重貞は、士分に取り立てられます。 |
雰囲気のある佇まい |
そして、八山は、筑前国に入部した黒田長政公より、鷹取山にちなみ、高麗の縁にて『取』の姓を拝領しました。取姓となってから、八山は慶長19年(1614年)、内ヶ磯(うちがそ、現直方市内)に移り、『内ヶ磯窯』で10年間制作しました。 |
茅葺屋根の古民家風です |
雄渾な作風から、次第に瀟洒で洗練された作風となっていったのは、この窯の後半です。徳川三代将軍家光の茶道指南役・小堀遠州(1579〜1647年)の指導を受け、『遠州七窯』の筆頭として多くの中興名物を造り出しました。その後、初代・八山は白旗山(現・飯塚市幸袋)に窯を移し、同地で生涯を閉じました。 |
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午後より雪が降り出しました |
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二代・八蔵貞明は、寛文5年(1665年)、現在の東峰村大字小石原鼓(現在の高取焼宗家の地)に移り『鼓窯』を築きました。さらに、4代・源兵衛勝利は、享保元年(1716年)、早良郡麁原郡(現・福岡市早良区)に『東皿山窯』を開き、一年の内半年は鼓窯に滞在して双方で制作を行う『掛勤』を行い始めます。 |
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登り窯 |
以後代々、明治4年(1870年)の廃藩置県まで、この掛勤が続きました。 このように、永い伝統によって培われた取焼の技術は、秘伝書として残され、一子相伝によって伝えられています。綺麗さびの世界を確立した高取焼の特徴は、陶器でありながら磁器のような薄さと軽さ、そして釉薬の種類が多いことにあるそうです。 |
十一代・高取静山(2)(3)
(高取焼中興) |
明治4年の廃藩置県によって黒田藩がなくなると、九代高取清次郎は黒田家に殉じて窯を閉じます。その後の高取焼宗家の再興は、高取焼中興の祖とされる高取静山(1907〜1983年)によってなされました。静山は、本名を静といい、明治40年、裕福な高取焼宗家の長女として誕生しました。 |
陶土を搗き続けてきた二連の唐臼 |
しかし、父の事業失敗で大学進学を諦め、村の小学校の代用教員になります。その後、勉学のため上京。昼間、保険や雑誌編集の仕事をしながら、夜は日本大学で国文学を学びました。やがて、東京で結婚。3人の子供を育てていたとき、窯を再興するため父十代富基に呼ばれ、東京と九州を往復しながら手助けをすることになります。 |
しかし、その父が心労のため急逝し、いつしか戦争の波が窯の火を消し去っていきました。戦後、だだ一人の直系子孫である静山よって、1958年(昭和33年)、取焼が再興されます。離婚をし、女であることを捨て、世間の嘲笑と中傷、そして貧困と戦いながらの再興でした。時に、青山50歳。 |
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初代高取八蔵夫の墓(正式な朝鮮式です) |
1961年(昭和36年)、第一回の個展を三越本店で開催。それを機に、遠州流宗家十一代宗明宗匠に『静山』を頂き、取焼十一代取静山が誕生。1966年(昭和41年)初代高取八蔵夫婦の墓を白旗山窯より鼓窯へ移し、正式な朝鮮式墓に葬りました(上写真)。 |
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釉薬の種類の多さが高取焼の特徴の一つ |
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1973年(昭和48年)、初代の生地を探しに韓国を訪ねるも特定するに至りませんでしたが、ソウル市内の新世界デパートで個展を開き、日韓友好の民間外交と高く評価されます。1977年(昭和52年)『炎は海を越えて』を執筆。韓国をはじめ海外より弟子を迎え作陶技術を伝えました。1983年(昭和58年)、75歳で永眠。 |
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高取春慶・造の花入(鹿児島県さつま町の自宅で撮影) |
十一代静山の許で幼少より陶業を学んだ十三代高取八山(本名、高取栄作)によって、現在も、『高取焼宗家高取静山窯』が継承されています。そして、十三代の許で、長男・高取春慶さんが修行中。現在21歳。上の写真の花入は春慶さんの作品です。 |
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『綺麗さび』の佇まい |
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