『アマテラスオオミカミ』と思われる石像
『明治百年 むえんこ中まもれ 昭和四十三年五月五日岩岡弘覚 八十才のさく』 |
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十二面薬師如来像(左)、十一面観音像(右)
『アサヒカカ、 ゆう日サト、やくし 岩岡山七十五才のサく』(左の石像)。
『十一めん くわんのん 昭和三十八年十一月 七十五才サく』(右の像) |
『カゼのカミ 昭和四十七年九月吉日』 (中央の大きな石像) |
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『みとコーモン 人をたすけまわる かくサン すけサン 昭和四九年六月吉日』(左)
『をやカめ上こカめまごカめ日まごカめの八十八ガめそろをて・・・・あそびます』(右) |
『茶碑 無門尼 宗城尼』 (中央付近の石像) |
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『ためにならんこと みらぬ人』 |
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『ノノリトソ?』(単なる飾り・・・) |
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異次元の雰囲気を放つ石像群は、持田の町と日向灘の風光明媚な景色を見下ろす高台に立てられています。 |
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高鍋太師 |
岩岡保吉氏(1889〜1977年)が私財を投じ、地元の方々とともに半世紀をかけて造りあげた700余体に及ぶ石像。岩岡氏は香川県出身、7才の時に高鍋に移住しました。小学校卒業後、文具の行商などを経た後、19才の時に米穀販売業として独立、成功を収めます。1918年(29才)、四国八十八ヶ所の巡礼に出かけ、これをきっかけとして高鍋に八十八ヶ所を造る構想を抱く事になりました。十年後、石像用の石材調達を開始。土地を取得・整備し、石像の制作に着手。その際、大分より招いた石工に石像彫刻を学び、共に制作に励みました。1933年(44才)八十八体の石像が完成。後に高野山で得度、大師堂を一般に開放しました。当時周辺の持田古墳の盗掘に心を痛め、古墳に眠る古代の人々の霊を鎮めるとともに人々の幸せを願い、八十八ヶ所完成の後も石像の制作を続け、弘法大師空海修行像、アマテラスオオミカミ、かぜのかみ、といった巨大なものから、みとこモン等のユニークな像なども造りあげました。生涯をかけ大小様々な石像を造りつづけ、その総制作数は
700余体に及びました。素朴で奔放なこれらの石像を残し1977年、87才で永眠。人々の幸せを神に仏に、そして皆の心の中に願ったその魂は、未だここにあるかのように人々の癒しの場となっています。平成21年3月、宮崎県より観光遺産の指定を受けました。 |
たかなべ明倫観光ボランティアガイドの会 |
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