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上田家庄屋屋敷庭園 |
約 600坪の土地に南向きに建てられ、大広間(十七畳)、中ノ間(十二畳)、居間(十二畳)表座敷(十二畳)、奥座敷(八畳)、裏座敷(九畳)、離座敷(十二畳)など、約百畳の広さと部屋数は約二十室にもおよんでいる。 天井は非常に高く、二間半(4.5m)ほどの高さである。家の材料は、シイ、マツ、などの雑木を使用してがっしりと構築され、海からの強い西風や
台風にもビクともせず、長年の風雪に耐えてきた。山を背景に斜面を生かした庭園は、天草の中でも第一級のものである。この様な旧役宅がそのまま現存しているのは歴史的、建築学的にも実に貴重な文化財である。(『上田家の由来』案内板より) |
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上田家庄屋屋敷
(文化庁登録有形文化財登録指定) |
上田家(東信濃の時代は滋野と称していた)は、大阪城落城後、我が天草、高浜の地に隠栖(いんせん=俗世間を逃れて静かに住むこと)した。天領天草の代官、鈴木伊兵衛重辰(しげとき)は、万治元年(1658年)8月、上田家第二代勘右衛門定正に庄屋を命じた。これが庄屋上田家の祖であり、その後代々庄屋を幕末まで受け継がれた。この建物(上田家庄屋屋敷)は、7代目当主上田源太夫宜珍(よしうず)の時代、文化12年(1815年)に建築されたものである(現在は15代目である)。 |
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窯(寿芳窯内) |
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