閑谷学校は、今から約340年前の江戸時代初期、武士による厳しい民衆支配が行われていた時代に、岡山藩主の池田光政公が創立した日本最古の庶民のための学校で、聖廟、講堂、小斎、習芸斎、文庫、門、閑谷神社、石塀、石門など、主要設備が非常によく保存されていて、講堂が国宝に指定されているほか、25件が重要文化財に指定されています。 |
講堂などのある学校地(写真上) |
校地の西隣は木が植えられていない盛土になっています。この人工的に造られた盛土部分は火除山(ひよけやま)と呼ばれ、その西側にあった学房群の建物が当時は茅葺きで火災の心配があったため、校地への延焼を防ぐの防火区画として造られたものです。 |
校門(鶴鳴門)と公門(御成門)。手前が公門 |
校地の南側を重厚に走る石塀(せきへい)には校門と公門の2つの門があります。公門は藩主の通用門で『御成門』とも言いました。元禄14年(1701年)の建造で、構造形式は薬医門となっています。 |
校門(鶴鳴門) |
閑谷学校の正門である校門、門扉を開閉する時鶴が鳴く声に似た音がすることから『鶴鳴門』とも呼ばれているそうです。棟に鯱(しゃち)をのせているのは閑谷学校の建物ではこの門だけだそうです。また、左右に釣鐘窓が見えます。正面奥に孔子をまつる聖廟が見えます。 |
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