|
|
白川郷 (世界遺産) |
西の高台に設けられた駐車場に車を止めて、 シャトルバスで入った荻町合掌集落の北入口付近の集落の風景(写真上)。 ちらほらいる人影が風景に旅情を添えます。 |
和田家住宅(写真上)は、荻町合掌集落で最大規模を誇る合掌造り。 江戸期に名主や番所役人を務めるとともに、火薬の原料である焔硝(えんしょう)の取引によって栄えました。 現在も住居として活用されつつ、1階と2階部分が公開されています。 |
白川郷は豪雪地帯。 本格的な雪かきには本格的な重機が必要ということでしょう(写真上・下)。 大きなタイヤとチェーンが印象的。 |
泥も付いておらずきれいだから、 きっと雪かき専用の重機ではないかと思われます。調べてみると、WA-40(写真上)は 『ミニホイールローダ除雪仕様車』とあります。 |
110棟余りの合掌造りが点在する 白川郷・荻町地区の集落は、その独特の景観が評価され、1976年(昭和51年)に 重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。 |
さらに1995年(平成7年)には、 五箇山(富山県相倉地区、菅沼地区)とともに、白川郷・五箇山の合掌造り集落として、 ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。 |
合掌造りの家の縦並びを 撮影できる絶好のロケーション(写真上・下)。何人かのアマチュアカメラマンが 三脚を据えていました。 |
茅葺屋根の先に下がった 長くて鋭敏にとがったつららと雪の深さ(屋根からすべり落ちて積もったものと思われます)が 白川郷の冬の厳しさを感じさせます。 |
合掌造りの大きな茅葺屋根の 軒先にさがるつららと、たくさんの実を生らしながら寒さを耐え忍んでいる風の一本の柿の木。 いかにも白川郷らしい光景の一つです。 |
農耕の道具や資材などを保管する 小屋でしょうか、荻町の家並みの見下ろす山裾に建てれていました。 こうした建物まで茅葺なのは嬉しいです。 |
小屋のかたわらに建てられた ”南無阿弥陀仏”と刻まれたお墓。白川郷を訪れるのも今回で3回目、 こんな風景に目が行きます。 |
こじんまりした合掌造りの 屋根の民家。農機具や軽トラックなどの収納された光景が 生活感を感じさせます。 |
雪景色に案山子。いかにも素朴な光景です。 稲田が黄金色に染まった秋の風景を演出したであろう案山子たちもこうやって 白川郷の冬を乗り切るのでした。 |
雪だるまにかまくら。 訪れる観光客に喜んでもうらうための白川郷の人たちのサービスの一つでしょうか。 うしろに合掌造りが見える背景も良いです。 |
明善寺庫裡(くり)裏の この辺り(写真上)は、合掌造りの並びが写せるロケーションとあっていつも多くの アマチュアカメラマンが三脚を据えている場所です。 |
大通りより奥まった山裾の辺りは 観光客の行き来もそう多くなく、ひっそりとしています。 積雪がそうした趣を助長していました。 |
おみやげ店では、草木染めやツル細工、わら細工などの 伝統工芸品、白川郷べーめん(米から作る麺)、きくらげ、とちの実やよもぎの餅、どぶろく煎餅や どぶろく羊羹、紫蘇もなか、とうふ、手作り味噌などが売られています。 |
上の写真で後方に展望台が見えます。 そこから荻町の全景が見渡せるのですが、今回はシャトルバスを利用して上がることになっていて、 時間の都合で上がるのを断念しました。 |
代掻きの頃には初夏の、青田風の頃には夏の、 黄金の稲穂の頃には秋の風情を演出する白川郷の田んぼ。今は、半ば凍りついた 水に合掌造り屋根(明善寺庫裡)の影を映しています。 |
明善寺庫裡(くり)(写真上・下)は、 萩町でもひときわ目立つ大きな建物です。郷土資料館になっていて、1階には囲炉裏のある客間があり、 2階には農具や生活用具などが展示されています。 |
明善寺庫裡は、今から約200年前の 江戸時代末(1817年頃)に、高山の大工副棟梁与四郎によって建てられました。釘(くぎ)やカスガイを 一切使わずに建造された合掌造りとして重要文化財に指定されています。 |
明善寺の鐘楼門と本堂(写真上・下)も定番の撮影ポイントの一つ。 茅葺の屋根の1階に板庇(ひさし)をつけた珍しい建築物で、亨和2年(1801年)大工・加藤定七により、 延べ人数1425人を要して建てたと伝えられているそうです。 |
鐘楼門の横に植わっていのはイチイの木。 文政10年(1827年)、本堂の建設に際し、副棟梁の大工与四郎が記念樹として 植樹したものと伝えられているそうです。 |
おみやげ屋の前を行きかう観光客(写真上)や 駐車場(つり橋を渡った川向こうにあります)に引き返す観光客(写真下)。 観光客の行きかう風景もまた白川郷独自の風景です。 |
|
|
|||||
Copyright(C) WaShimo All Rights Reserved. |