ワシモ(WaShimo)のホームページ
 
旅行記 ・大塚国際美術館 - 徳島県鳴門市 2019.05
大塚国際美術館
大塚国際美術館・正面入口
大塚国際美術館 (The Otsuka Museum of Art) は、徳島県鳴門市の鳴門公園内にあり、世界25ヶ国・ 190余の美術館が所蔵する西洋名画1,000余点をオリジナルと同じ大きさに陶板画で複製し展示しています。運営は一般財団法人大塚美術財団。大塚製薬グループが創業75周年事業として1998年に開館。建築費や各絵画の使用料(著作権料)などを含め総工費400億円。延床面積は国立新美術館に次ぐ日本第2位。年間来場者数は約42万人(2018年度)。
大塚国際美術館(出典:Wikipedia)
システィーナ礼拝堂
システィーナ礼拝堂
イタリアのツアー旅行でバチカン美術館(バチカン市国)を見学したのは2014年のことでした。基本的に撮影可でしたが、『システィーナ礼拝堂』だけは撮影禁止でした。今回、実物大のレプリカ・複製展示を大塚国際美術館で見れました。昨年の紅白歌合戦で米津玄師さんがこのホールで歌って以来、こ美術館の入館者が増えているそうです。
アダムの創造
その名声に比肩するのはレオナルド・ダ・ヴィンチが描いた『モナ・リザ』だけだともいわれるぐらい名高いとされる『アダムの創造』もちゃんと写真に撮れました。天井に描かれたフレスコ画の一部で、神の右手と最初の人類たるアダムの左手が今にも触れようとしている場面が描かれています。
 システィーナ礼拝堂
 
モネの庭
睡蓮の作品をイメージした『モネの池』
水生植物の睡蓮をこよなく愛し 200点以上の睡蓮の作品を描いたといわれるフランスの画家クロード・モネ。作品に描かれた池や庭はモネが庭師を雇って整備したものでした。その庭を模したモネの庭が世界中にたくさんあるといわれます。中でも大塚国際美術館が誇るモネの庭は世界随一。
『モネの池』とカフェ
大塚国際美術館では地下2階の屋外に大睡蓮が環境展示されています。モネの睡蓮の作品が360度ぐるりと展示されていて、その周りを池が囲んでいます。明るい自然光の下で、モネの絵画と本物の睡蓮を同時に楽しむことができます。実際の睡蓮の花の見ごろは例年6月から9月ですが、徳島は温暖な気候なので、通常は5月中旬頃から10月中旬頃まで楽しむことができるようです。
屋外に」展示されたモネの『大睡蓮』
大睡蓮の池を囲うようにテラス席が用意されたカフェがあり、どの席からもモネの庭を眺めながら休憩できます。旬のフルーツを使った季節季節のメニューが豊富に取り揃えてあり、ドリンクのみならず、ケーキやパフェなどを頂くことができます。
『モネの池』の草花
 名画に見入る人たち
秘儀の間(秘儀荘、ポンペイ、イタリア)
大塚国際美術館では絵画そのものだけではなく、ユニークな展示の方法として教会や聖堂などの空間をまるごと再現した『環境展示』も数多く見られます。『システィーナ・ホール』などがそうですが、イタリアのポンペイ遺跡である『秘儀の間』もその一つです。
秘儀の間(秘儀荘、ポンペイ、イタリア)
ポンペイアン・レッド(ポンペイの赤)といわれる朱色を背景に神秘的な壁画に描かれているのは、花嫁の入信式だといわれます。2000年以上前に描かれたもですが、ポンペイに残されている壁画の中でも保存状態がかなりよく、この大塚国際美術館で複製されている通りに巨大な絵画のまま残されているそうです。
 貝殻のヴィーナス( 貝殻のヴィーナスの間、ポンペイ、イタリア)
西暦79年のヴェスヴィオ火山の噴火により消滅したポンペイから出土した『貝殻のビーナス』も『環境展示』の一つです。ポンペイから発掘された富裕民の邸宅アトリウムに描かれた壁画が再現されています。壁画の前には中庭をイメージした植栽が置かれています。
鳥占い師の墓(モンテロッツイ墓地、タルクィニア、イタリア)
『鳥占い師の墓』は、古代ローマよりもさらに前の時代に栄えたエトルリア文化に影響を受けたという壁画です。ネクロポリ(死者の街)と呼ばれる古墳群(イタリアの世界遺産の一つ)にあり、紀元前 520年ごろのものと言われています。片手を上にもう一方の手を前に伸ばした仕草やレスリング競技の様子などが描かれています。
ナイル・モザイク(パレストリーナ国立考古学博物館、パレストリーナ、イタリア)
『ナイル・モザイク』はイタリアの首都ローマの東にあるパレストリーナという町の古代ローマ時代の紀元前1世紀頃の神殿遺跡から発見されもの。ナイル川の氾濫の様子を表現したものらしいですが、6500万年前に絶滅したはずの恐竜や氷河期に絶滅したはずのほ乳類、地球上のものとは思えない生物の姿が描かれているといわれます。
牡牛をほふるミトラス神(ミトラス教礼拝堂、サンタ・マリーア・カープア・ヴェテレ、イタリア)
『牡牛をほふるミトラス神』は、サンタ・マリーア・カープア・ヴェーテレ(イタリア)のミトラス教礼拝堂にある前 250年頃の壁画。ミトラス教は古代のインド・イランに共通するミスラ神(ミトラ)の信仰であったものが、ヘレニズムの文化交流によって地中海世界に入った後に形を変えたものと考えられるています。牛を屠(ほふ)る儀式が特徴。
ラザロの蘇生、キリストの磔刑、ベツレヘムヘの旅
『ラザロの蘇生』(ザンクト・ゲオルク聖堂、ライヒェナウ島オーバーツェル、ドイツ)、『キリストの磔刑』(サンタ・マリーア・アンティークァ聖堂 テオドトゥス礼拝堂、ローマ、イタリア)、『ベツレヘムヘの旅』(サンタ・マリーア・フォリス・ポルタス聖堂、カステルセプリオ、イタリア)の3つの作品。
龍を退治する大天使ミカエル(サン・ピエトロ・アル・モンテ聖堂、チヴァーテ、イタリア)
『龍を退治する大天使ミカエル』は、ミラノの北30キロの湖水地方で知られるコモ近郊の小さな街チヴァーテの標高 663メートルの山頂にひっそりと建っているベネディクト会のサン・ピエトロ・アル・モンテ修道院に残る12世紀のフレスコ画で、大天使ミカエルと龍(ドラゴン)の戦いが描かれています。
キリストの受難(サンタンジェロ・イン・フォルミス聖堂、カプア、イタリア)
『手を洗うピラト』、『十字架を担う』、『磔刑』、『キリスト埋葬』と並んでいます。大画面の『磔刑』のキリストは生命を保ち、イタリア・ロマネスクの図像伝統を伝えています。左に死を悼む者達、右に敵対する者達、とくに聖衣の所有を決める『衣分け』を配して後のイタリア絵画の先駆的要素を見せています。
マエスタ(荘厳の聖母)(ドゥッチョ、シエナ大聖堂美術館、シエナ、イタリア)
ドゥッチョは、13世紀末~14世紀初頭にシエナ(イタリアのトスカーナ州中部にある都市)で活動したゴシック期のイタリアの画家。シエナ大聖堂の『マエスタ』はドゥッチョの代表作で、完成時にはシエナの市民たちがこの巨大な絵をかついでドゥッチョの工房から大聖堂へ運んだといわれています。玉座の聖母子と諸聖人・天使が描かれています。
受胎告知(レオナルド・ダ・ヴィンチ、ウフィツィ美術館、イタリア)
『受胎告知』は、ルネサンス期のイタリア人芸術家レオナルド・ダ・ヴィンチが1472年から1475年ごろに描いた絵画。フィレンツェのウフィツィ美術館が所蔵しています。大天使ガブリエルがキリスト受胎を告げるために聖母マリアのもとを訪れた場面が描かれています。
ウルビーノのヴィーナス(ティツィアーノ、ウフィツィ美術館、イタリア)
『ウルビーノのヴィーナス』は、ティツィアーノ(盛期ルネサンスのイタリア人画家でヴェネツィア派で最も重要な画家の一人とされる)の1538年頃の作。豪奢なルネッサンス風宮殿を背景に、長椅子(あるいはベッド)に寄りかかる若い女性の絵画で、ローマ神話のヴィーナスを描いた作品とされています。ウフィツィ美術館所蔵。
 
ヴィーナスの誕生(サンドロ・ボッティチェッリ、ウフィツィ美術館、イタリア) 
『ヴィーナスの誕生』は、サンドロ・ボッティチェッリ(ルネサンス期のイタリアのフィレンツェ生まれの画家)の1483年頃の作品。生まれたばかりの美しく純粋無垢なヴィーナスが貝殻に乗って陸地に向かっている穏やかで優美な情景が描かれています。ウフィツィ美術館所蔵。
 
 聖女ウルスラの船出(カルパッチョ、アカデミア美術館、ヴェネチア)
聖女ウルスラはブルターニュ王女。異教徒のイングランド王子コノンとの結婚を強いられ、彼もキリスト教徒になって一緒にローマ巡礼することを条件にローマに行き、帰路ケルンでフン族の手にかかって殉教しましたた。この時ウルスラはフン族の首長に結婚を迫られますが、これを拒否して死んだため、彼女はしばしば純潔の象徴として描かれました。画面右で王子とウルスラが出逢い、中央ではブルターニュ王に挨拶しローマに旅立つところです。
善政の寓意(ロレンツェッティ、シエナ、イタリア)
『善政の寓意』はイタリア、シエナ派の画家アンブロジオ・ロレンツェッティの絵画(1338~40)。シエナの象徴である白と黒の服を着た老人を中心に、正しい政治に必要な九つの徳を表わす擬人像が配されている。シエナ市庁舎の「平和の間」を飾る壁画として描かれたもの。
最後の晩餐(レオナルド・ダ・ヴィンチ、サンタ・マリーア・デッレ・グラーツィエ修道院、ミラノ、イタリア)
『最後の晩餐』は聖書に登場するイエス・キリストの最後の晩餐の情景を描いた絵画。ヨハネによる福音書13章21節より、12弟子の中の一人が私を裏切る、とキリストが予言した時の情景である。イタリアのミラノにあるサンタ・マリーア・デッレ・グラツィエ修道院の食堂の壁画として描かれたもので、420 x 910 cm の巨大なもの。
モナリザ(レオナルド・ダ・ヴィンチルーヴル美術館、パリ、フランス)
『モナリザ』は、レオナルド・ダ・ヴィンチがポプラ板に油彩で描いた板絵。1503年から1506年に制作されたと考えられています。上半身のみが描かれた女性の肖像画で、『世界でもっとも知られた、もっとも見られた、もっとも書かれた、もっとも歌われた、もっともパロディ作品が作られた美術作品』といわれています。現在はフランスの国有財産であり、パリのルーヴル美術館が常設展示をしています。
7つのヒマワリ
ゴッホは、花瓶入り『ヒマワリ』の油彩画を7点制作しており、このうち6点が現存しています。いずれも1888年8月から1890年1月にかけて描かれたものです。1888年2月、南フランスのアルルに移り住んだゴッホは、同年10月末に画家仲間のゴーギャンを迎えて共同生活を始めます。ゴッホにとってヒマワリは明るい南フランスの太陽、ひいてはユートピアの象徴であったといわれ、この時期に同様の構図の作品を複数枚描いた目的は、共に過ごすゴーギャンとの『黄色い家』のアトリエを『明るいヒマワリの絵で飾りたかった』からだといわれています。しかしながら、ゴーギャンとの共同生活はすぐに破綻してしまい、ゴッホが自らの左耳を切り落とした事件を契機にわずか2ヶ月でゴーギャンはアルルを去ってしまいました。2018年の3月に開館20周年を迎えた大塚国際美術館は、世界初の試みとして、陶板で原寸大に再現した7枚の花瓶入り『ヒマワリ』を一つの部屋で展示する企画『7つのヒマワリ』をオープンさせ、現在も常設されていてみることができます(日本で焼失した2番目の作品も焼失前の写真画集をもとに再現、展示されています)。
あなたは累計
人目の訪問者です。
 

Copyright(C) WaShimo All Rights Reserved.