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旅行記 ・首里金城町石畳道と識名園 − 沖縄県那覇市 2012.05
 
首里金城町石畳道
首里城の大手門にあたる『守礼門』
『守礼門』(しゅれいもん、写真上)は、
首里城の、日本城郭でいう大手門に相当する牌楼型の門(楼門)です。
沖縄戦で焼失しましたが、1958年に再建。
 
首里公園入口。人力車が客待ちをしていました。
『守礼門』を出て『綾門大道』を進むと、
首里城公園の入口(写真上)に差し掛かります。そこを左折して進むと、
『首里金城町石畳道』への下り口があります。
『首里金町石畳道』への下り口。斜め右に降りていきます。
首里金城町石畳道は、首里城から
国場川の真玉橋に至る長さ4km総延長10kmの官道であった『真珠道(まだまみち)』の一部で、
琉球王国尚真王の治世である1522年にその建造が始まりました。
振り返って見た石畳。『真珠道(まだまみち)』の始まりです。
琉球王朝時代には、この道を
国王が首里城から冊封使や外国の来賓と共に琉球王家の最大の別邸である
『識名園』(しきなえん)へ向かうために使用されました。
石畳茶屋『真珠』(まだま)から見た那覇市街 
第二次世界大戦の沖縄戦で、
真珠道の大半は破壊されたが、金城町に現存する238mの区間が『首里金城町石畳道』
としてその姿を現在に伝えている。
琉球石灰岩の石畳と石垣
琉球石灰岩の平石が見事な幾何学模様に
敷きつめられた石畳は年月を経て光沢を帯び、沿道には近世以前の石垣も多く現存しています。
沖縄県指定史跡で、日本の道100選の一つ。
『大赤木と拝所あり』という看板はあります。
金城町石畳道の中間付近から、
脇道に入ると内金城嶽(うちかなぐすくたき)があり、敷地内には樹齢200年から300年の6本の
大アカギの木があることで知られています。
ユーモラスなシーサーが家を守っています。
石畳道の両側に建つ
赤瓦屋根の家には、怖い顔をした、あるいはユーモラスな顔をしたシーサーが飾られ、
沖縄情緒溢れる雰囲気を醸し出しています。
『石敢當』は魔よけの石碑、石標です。
琉球石灰岩の肌合いと色あい
そして幾何学模様が素晴らしい石畳、石垣に赤瓦の屋根が何と見事にマッチしていることでしょうか。
『石敢當』(いしがんどう)は、魔よけの石碑、石標です。
『景観賞』のマークが貼られた赤瓦の門  
 赤瓦屋根は、
赤瓦を屋根に敷き詰め、縁取りするかのように周りが白い漆喰で固められています。
瓦の赤と縁取りの白のコントラストが綺麗です。
NHK連続テレビ小説『ちゅらさん』のロケも行われました。
NHK連続テレビ小説
『ちゅらさん』(2001年度上半期)のロケがこの石畳道で行われました。
ヒロインの自宅外観として使われた建物があります。
『ちゅらさん』で主人公の自宅外観として使われた建物
ロケに使われた家には、
『当地は私有地であり、現在も生活されている方がおりますので、敷地内はたち入らないよう
、ご協力お願いいたします』という看板が立ててありました。
『金城村屋』は観光客の休憩所と地域の集会所を兼ねた施設です。
1996年に建てられた『金城村屋』は、
伝統的な木造瓦葺で観光客の休憩舎と地域の集会所を兼ねた施設。この地域の歴史的景観を
守ろうとする先導的役割も持っているそうです。
観光客に有り難い休憩所 
金城町石畳道は、片道238mの急勾配の坂道です。
首里城公園の方から下りてきて、また引き返すのに、ここでひと休憩。トイレもあって、
『金城村屋』は、観光客に有り難い休憩所となっています。
『金城大樋川』はかつての共同井戸でした。
金城村屋の隣にある
『金城大樋川』(カナグシクウフフィジャー)は、家庭に水道が引かれる以前に、生活用水として
人々の生活を支えてきた共同井戸でした。
『金城大樋川』の隣りにある民家と石畳
樋川は、湧き水とは異なり、
岩盤の奥の水脈から樋(とい)で水を引いて、石垣で囲んだ井戸に導き、
利用する形式のものだそうです。
初夏の青空と赤瓦屋根とシーサーと
石畳道の沿道の屋敷の生垣や庭には、
ブーゲンビリア(写真下)のほかに、ゲットウやヤマドリアヤシ、センネンボクなどの花や観葉植物が
植えてあって、沖縄の雰囲気を演出しています。
シーサーとブーゲンビリアの花
金城町石畳道は、首里公園側の
赤マルソウ通りから金城ダム通りまでの238mmの区間。金城ダム通りへの出口のあるのが
お食事どころ『首里殿内』(すいどぅんち)。
沖縄泡盛と創作料理の『首里殿内』
識名園〔世界遺産〕
首里城とは対照的に識名園は静かな佇まいをみせていました。
『識名園』(しきなえん)は、首里城からタクシーで
約15分のところにある琉球王家最大の別邸。面積約23,265m2。『識名の御殿』(しちなぬうどぅん)とも、
また、首里城の南にあることから『南苑』(なんえん)とも呼ばれました。
蘇鉄も沖縄の雰囲気を演出しています。
造園は琉球の第二尚氏王朝、
尚穆(在位・1752年〜1795年)の時代に始まったと言われますが定かではないようです。
完成は尚温の時代の1799年。
独特の形と雰囲気の琉球石灰岩の橋
王家一家の保養と中国皇帝からの使者(冊封使)をもてなす、
現在でいう迎賓館として使われました。造園形式は、池のまわりを歩きながら景色の移り変わりを
楽しむことを目的とした『廻遊式(かいゆうしき)庭園』になっています。
六角堂には中国の雰囲気が感じられます。
池に浮かぶ島に中国風の東屋(あずまや)、
六角堂が建てられるなど中国の影響も見られますが、池の周囲を琉球石灰岩で積みまわすなど、
全体的には琉球独自のデザインになっています。
六角堂は島に建てられていて橋を渡って行きます。
第二次世界大戦によって
壊滅的な破壊を受けましたが、1975年から20年の歳月をかけ
今日のような姿に取り戻されました。
廻遊式庭園は歩きながら景色の変化を楽しめます。
1941年、国の名勝に指定され、戦禍で壊滅後、
1976年に再指定。2000年には国の特別名勝に指定され、同年12月に世界文化遺産に登録。
首里城の賑わいに比べ、ひっそりとたたずんでいました。
識名園の御殿(ウドゥン)
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