♪エレジー(ラフマニノフ)
Piano1001

  
  
旅行記 ・都城六月灯 おかげ祭り − 宮崎県都城市  2009.07.08
 
      
かんばしらぐう
神柱宮
都城地方の総鎮守として親しまれている神柱宮(写真上)。境内では、おかげ祭りの宵祭り(献灯祭)に焚かれる篝火の準備が整っていました(写真下)。
島津荘
南九州の日向・大隅・薩摩の三国(現在の宮崎県、鹿児島県)にまたがって存在した近衛家領の荘園が『島津荘』です。太宰大監(太宰府の役人)であった平季基(たいらのすえもと)が荒野の地を開発して、宇治関白藤原頼通(ふじわらよりみち)に寄進したことに始まるといわれ、現在の都城市あたりがその中心でした。後年、源頼朝は西国支配政策の一環として、惟宗忠久(これむねただひさ)を島津荘の惣地頭に任命します。忠久は、現在の都城市郡元の地に御所を構え、姓を荘園の名前である『島津』に改めました。島津家の発祥といわれます。
神柱宮 
島津荘を開いた平季基が万寿三年(1026年)にその総鎮守として伊勢大神を勧請し、創建されたのが神柱宮(かんばしらぐう)の始まりとされます。当時から島津御荘總鎮守として、島津荘の領主・地頭はもとより、荘内の人々に篤い崇敬を寄せられて来ました。天照皇大神と豊受姫大神(トヨウケビメ)を主祭神とし、五柱の神が相殿に祀られています。
 
 
おかげ祭り(宵祭り
八坂神社で出立式が行われ、大燈籠山車に明かりが灯され、19時30分過ぎ、山車運行の開始です。
六月灯とおかげ祭り
鹿児島から都城にかけての旧薩摩藩領内では、7月の約一月間、子供たちが角灯籠に思い思いの絵を描いて奉納する『六月灯』(ろくがつどう)が、あちこちの神社やお寺で開催され、夏の風物詩となっています。
 
おかげ祭りは、神柱宮の六月灯に合わせて催されるお祭りであり、毎年7月8日の宵祭り(献灯祭)と9日の本祭り(御輿渡御)の2日間の日程で行われます。
 
8日の『宵祭り』では、八坂神社から神柱宮までの目抜き通りを、明かりを灯した大灯籠(とうろう)山車と、笛や太鼓の囃子手を乗せた台車それぞれ数台が曳かれる献灯祭が行われます。9日の『本祭り』では、駅前の街中を笛や太鼓のお囃子を先頭に御輿が勇壮の練り歩く神輿宮入の巡行が行われ、両日大勢の市民が押し掛け賑わいます。
 
『おかげ』は、あらゆるものに感謝するという意味で、1993年より始まった新しい祭りです。2009年の『宵祭り』の風景をここにアップロードしました。
八坂神社を出発した大燈籠山車はまず、山見せの行われる都城大丸センターモール前へ向います。
大きさ二間四方、高さ4mの大燈籠山車8基と、笛や太鼓の囃子手を乗せた台車4基が運行されました。
都城大丸センターモール前へ到着した大燈籠山車は一列に並べられ、山見せです。
弁慶、武者、虎、雷神などを描かれた大燈籠が街角を照らします。
獅子舞が披露されたのち、地元の名士らによって鏡開きが行われました。
山見せが終ると、かねや太鼓に合わせて『あー、どっこい』の掛け声を掛けならが、再び曳行です。
準備が整った神柱宮の境内では、沢山の人が大燈籠山車の到着を待ちわびています
境内に到着した大燈籠は境内拝殿前に並べられ、奉納神事が行われます。
曳行に伴ってきた跳人(はねと)と呼ばれる踊り手らの掛け声が勇壮に響き渡ります。
境内に設けられた舞台では、直径2.5mの『おかげ太鼓』が打ち鳴らされ奉納されました。
最後に花火が打ち上げられて、奉納神事が終了しました。
神柱宮の本殿前に大灯籠が奉納鎮座され、宵祭りの夜は更けて行きます。
  
【参考】
[1] 都城六月灯 おかげ祭り 公式ホームページ
[2] 六月灯・おかげ祭りの写真|都城市
[3] 神柱宮(かんばしらぐう) 公式ホームページ
 六月灯〜鹿児島市
あなたは累計
人目の訪問者です。
 
Copyright(C) WaShimo All Rights Reserved.