♪御伽草子
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旅行記 ・お伊勢講 − 鹿児島県南さつま市笠沙町片浦  2009.02.11
 片浦のお伊勢講
片浦のお伊勢講は浜下りご神幸の祭りです。神事のあと、片浦公民館を出発するご神体(写真上)。
錦の御旗(みはた)を先頭に
 
そこで生み出されたのが『お伊勢講』(おいせこう)という仕組みでした。
『講』に加入しているメンバーが、それぞれお金を出し合って旅費にあてます。誰が行くかは、くじ引きで決めましたが、メンバー全員がいつかは当たるように配慮されていたようです。くじ引きの結果、選ばれた者が『講』の代表として伊勢へ旅立ちました。
お伊勢講
 
庶民の一生一度の夢であった伊勢神宮参詣(お伊勢参り)が全国的になったのは江戸時代以降だといわれますが、当時の庶民にとって伊勢までの旅費は相当な負担でした。薩摩半島の南端の笠沙(かささ、現鹿児島県南さつま市)に住む人々にとってはなおさらのことでした。
  
いよいよご神幸行列が始まります
般若(はんにゃ)面は、嫉妬・恨みのこもる女の顔の表現といわれます
神官役の子役
そうしたまつりが、『お伊勢講』として南さつま市笠沙町の片浦集落や赤生木集落に伝承され、毎年2月11日の建国記念の日に開催されています。今回は、2009年2月11日に開催された片浦集落のお伊勢講を取材しました。
笠沙でも、お伊勢講を結成して代表者を送っていましたが、やがていろいろと困難が生じたので、代参の風習が無くなっていき、その代わり集落ごとに賑やかなご神幸行列や疱瘡踊りを行なってお伊勢様をまつるようになりました。
裏方の婦人部の人たちも見送ります
かなたを見据えて・・・
やはりひょっとこは、ユーモラスです
道化役たちの掛ける掛け声『オイヤナ』は、『いらっしゃいますか?』という意味の方言で、『オイヤナ、お賽銭をタモハンカ』(いらっしゃいますか、お賽銭を下さいませんか)といって、伊勢参りの旅費を集めて家々をまわったことに由来するそうです。
錦の御旗(みはた)に続いて、般若・お多福・天狗・ひょっとこ・恵比寿・狐などの面をかぶった女装の青年たちが、長刀・槍・刀などを振り振りお神輿の先払いをしながら『オイヤナ、オイヤナ』と、大声で掛け声をかけながら行列が練り歩きます。
 
道化役の青年たちが長襦袢を着て女装しているのは、女神であるお伊勢様のお心に触らないようにという配慮からだそうです。
うつむき加減に・・・
お面の下にはどんな少年の顔が・・・
頼もしげです、えびす様
祭りの日、口ひげを描いて
道化役たちは手に持つケン(剣棒)で見物の人々を叩いて回ります。ケンで叩かれるとその年は無病息災であるというご利益があります。
ご立腹の鬼面・・・
笠沙
鹿児島市から南西へ50km、薩摩半島の南端の最西端に鷲の口ばしのように鋭く突き出た野間半島が南さつま市の笠沙町です。西南北の三面を東シナ海に囲まれた笠沙町は、高千穂の峰に降臨された天孫ニニギノミコトが海路上陸され、美しい姫コノハナサクヤヒメと出会い、妃として迎えたところといわれます。また、古来より大陸とのつながりが深かったところで、天孫の神々を祀る神社だった野間神社の西宮では、後に『媽祖(まそ)』『順風耳』『千里眼』という、中国沿海部を中心に信仰を集めた神々が祀られるようになったほどです。
民家をぬって、神幸行列は浜(片浦漁港)へ
片浦公民館から望む片浦漁港
建国記念日に行なわれるお伊勢参り。いかにも天孫降臨の神話の土地柄らしいお祭りです。今年(2009年)のお伊勢講は、昨年より一ヶ月も早く黄砂が初飛来した日のお祭りとなりました。
 
   笠沙路や町を覆って黄砂ふる ワシモ
14時30分から片浦公民館で神事が行なわれ、15時にご神幸行列の出発というので、14時前に公民館に行ってみると、アマチュアカメラマンがたくさん参集しています。そこへ、裏方を務める婦人部の方々から『ぜんざい』が振舞われ、予期せぬお呼びにあずかりました。
建国記念の日、国旗が掲揚された片浦公民館
笠沙町片浦集落の家並み。この写真の左手が東シナ海です。
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