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旅行記 ・札幌農学校第2農場 − 北海道札幌市 2012.07
 札幌農学校第2農場
(国の重要文化財)
敷地入口にある池越しに眺める『放牛舎』と『模範家畜房』
「札幌農学校第2農場」は、ウィリアム・スミス・クラーク博士の構想によって一戸の酪農家をイメージした畜舎と関連施設を並べ、北海道最初の畜産経営の実践農場として約120年前に発足した施設で、現在は北海道大学札幌キャンパス内にあります。
 
 クラーク博士と札幌農学校
明治9年(1876年)に札幌農学校が開校すると教頭としてマサチューセッツ農科大学学長のウィリアム・スミス・クラーク博士が招かれました。わずか8ヶ月の滞在でしたが、彼に直接科学とキリスト教的道徳教育の薫陶を受けた1期生からは佐藤昌介(北海道帝国大学初代総長)や渡瀬寅次郎(東京農学校講師、実業家)らを輩出しました。また2代目のホイーラー教頭もクラークの精神を引き継ぎ2期生からは新渡戸稲造(教育者)、内村鑑三(思想家)、広井勇(土木工学)、宮部金吾(植物学)らを輩出し、北海道開拓のみならずその後の日本の発展に大きな影響を与えました。クラーク博士が帰国に際して残したBoys, be ambitious(少年よ大志を抱け)の言葉は、不朽の名言として語り継がれています。
北海道大学キャンパス内(古河記念講堂前)のクラーク胸像
北海道全域に畜産を広めた日本畜産の一つの発祥地としての価値と、ツーバイフォー方式バルーンフレーム構造の希有な農場建築としての価値、収蔵する農機具類の歴史的・学問的価値が認められ、昭和44年(1969年)に建造物国の重要文化財に指定されました。
『放牛舎』(右手前)と『模範家畜房』(左奥)
明治9年(1876年)に札幌農学校の教頭に迎えられたクラーク博士は、実践を中心とした農業教育を提唱し、当時は「札幌官園」という名で機能していた土地一帯を「農黌園(のうこうえん)」として移管、実践農場としての利用が開始された。この農黌園という名称は「College Farm」の日本語にしたものです。
搾乳した牛乳を加工する『精乳所』(左手前)と家畜飼料の加工場『釜場』
園内は、学生の農業教育の研究を対象とした「第1農場」と、畜産の経営を実践する農場としての役割を担った「第2農場」の2つの区域に分けられました。この第2農場は、それまで日本人になじみの無かった酪農・畜産経営を実践できる実習施設として機能しました。
『精乳所』(左)と『釜場』(右手前)
外国種の家畜・牧草や畜力農機具、さらにはマサチューセッツ州立農科大学にならって産室・追込所・耕馬舎が建設されました。第2農場の施設は、クラークによりModel Barn(モデルバーン、模範的畜舎)と名づけられました。この名称には、北海道農業の模範になるようにとのクラーク博士の願いが込められていました。
穀物庫、収穫室、動力室、脱ぷ室が組み合わさってできた木造の建物
当初、第2農場の施設は現在の札幌時計台一帯にありましたが、札幌農学校の帝国大学への昇格にともない現在地に移転し、さらに大学の拡大と都市化の影響によって縮小を余儀なくされました。その後重要文化財として閉鎖管理されてきましたが、施設の文化的価値を広く世間に知ってもらうため、2000年に一般公開が決定されました。
模範的家畜房(モデルバーン)は日本最古の洋式農業木造建築です。
施設内には、北海道開拓の父とも称されるホーレス・ケプロンが明治4年(1871年)に米国より持ち込んだ10点余りをはじめ、農黌園が北海道開拓のために試行した洋式畜力農具100余点、これを受容して北海道農法を築いた道内産農具200点余りが収蔵されています。
サイロ付きの牧牛舎。サイロは札幌軟石造りです。
所在場所は、札幌市北区北18条西8丁目(北海道大学キャンパス内、キャンパス中央通北端、「遠友学舎」西隣り)
地下鉄南北線・北18条駅で下車した方が便利です(徒歩でいけます)。公開は、原則として、毎年4月29日〜11月3日(午前10時〜午後4時、但し、地内の見学は年中、午前6時〜午後6時)。 
『放牛舎』(右手前)と『模範家畜房』(左奥)
【参考サイト】
(1)ウィリアム・スミス・クラーク - Wikipedia
(2)札幌農学校第2農場 - Wikipedia
(3)札幌農学校第2農場(北海道大学ホームページ) 
 
 レポート ・官園と札幌農学校
 
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