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旅行記 ・中島常楽院 − 鹿児島県日置市吹上町 2018.08
 なかしまじょうらくいん
中島常楽院
国道沿いの案内板
建久7年(1196年)、
島津家初代の島津忠久は、宝山検校(ほうざんけんぎょう けんぎょう)を
祈祷僧として伴って薩摩に下ったと伝えられています。
仏堂1棟と歴代住職の墓が残るのみ
検校は、
京都の天台宗常楽院の19代住職で本尊妙音天を捧持し、現在の鹿児島県
日置市吹上町田尻の地に『常楽院』を建立しました。
『薩摩琵琶発祥之地』の標識
ここは昔、湖でしたが
検校の祈祷で水が枯れて平地になったと伝えられています。この寺は視覚障害者の僧侶しか入れない
『盲僧寺』とされ、歴代の住職は楽器の達人が多かったとされます。
境内の石仏
検校をはじめ歴代の住職は
各地で島津氏の威徳高揚につとめ、琵琶を吟弾して仏法を広めました。このとき弾奏された
琵琶が後年薩摩琵琶に発展していったといわれます。
境内の石仏
建立 今でも毎年10月12日に、県内外から
僧侶が集まり『妙音十二楽』が演奏されています。妙音十二楽は、導師の読経する中、琵琶、笛、太鼓、手拍子、
妙鉢、銅鑼、大法螺、小法螺の8種の楽器で演奏する古典音楽です。
苔むした石仏
戦国時代になり
常楽院は15代当主・島津貴久によって薩摩国大隅国日向国の盲僧の監督寺とされ、
歴代薩摩藩主の帰依も高かいでした。
入口に立つ説明版
18代当主・島津家久は元和5年(1619年)、
常楽院を鹿児島城下に移転したため吹上町に残った寺は子院となりました。鹿児島城下に移った本院はその後
廃仏毀釈や第二次世界大戦の空襲被害などにより、現在は宮崎県日南市に移転。
静かに佇む中島常楽院
吹上町に残った子院も
廃仏毀釈により現在は仏堂1棟と歴代住職の墓のみが残る状態となっていいます。近くにある西酒造の
焼酎『宝山』の名前は、宝山検校の名前に由来します。
近くに立つ本格焼酎『宝山』の広告塔
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