♪南部蝉しぐれ
福田こうへい(Cover/WaShimo)

             
           
旅行記 ・盛岡、雫石 − 岩手県  2013.04.20
盛岡
盛岡市街地と岩手山(Wikipedia、作者:Yuichi from Morioka より)
盛岡市は、岩手県の中部に位置する都市で、安土桃山時代に勢力を広げた南部氏が盛岡城を築いて以後、城下町として発達。明治以後は岩手県の県庁所在地として第三次産業を主体とする商業都市となり、とりわけ東北新幹線の整備により急速な都市化が進んでいます。
JR盛岡駅
盛岡市の人口は30万人ですが、盛岡市を核として八幡平市、紫波郡、岩手郡に広がる人口約50万人の盛岡都市圏が形成されています。地理的には、盛岡市内を北上川、雫石川、中津川などが流れ、市内からは岩手山(北西)、駒ケ岳(西)、早池峰山(東)、南昌山・東根山(南)などの山々を望むことができます。
盛岡市郊外から望む岩手山
こいわいのうじょう
小岩井農場
小岩井農場の一本桜(後方は岩手山)
小岩井農場と一本桜 小岩井農場の中で、秀峰岩手山を背景に緑の大地に根を張る一本桜。詳しい樹齢は不明ですが、おそらく明治40年代 (約100年前)に植えられたと推定されます。 一本桜があるこの草地は、今は農場の牛などの餌になる牧草を収穫する畑ですが、昔は牛の放牧地でした。牛は暑さが苦手なので、夏の強い日差しから牛を守る『日陰樹』(ひいんじゅ)としてこの桜が植えられたものと考えられます。以前は、ここで牛の世話をする人しか知らない桜でしたが、昭和50年代に広域農道が整備(1978年度完成)されてからは一般の方も見学できるようになりました(現地案内板より)
小岩井農場・まきば園(入園口)
そのために、土壌改良や防風・防雪林の植林などの基盤整備に数十年を要した。1899年(明治32年)に三菱のオーナー一族・岩崎家の所有となる。戦前は育馬事業も行われており三冠馬・セントライトなど数々の名競走馬を輩出したが、GHQの勧告により1949年(昭和24年)に競走馬の生産から撤退を余儀なくされた。この後、種鶏事業が1962年(昭和37年)より始められている。1938年(昭和13年)より小岩井農牧(株)として事業活動を行っており、現在は酪農・種鶏・たまご・山林・環境緑化・技術研究・観光・農場商品販売等の事業を行っている。
〜 以上、 Wikipediaより 
 
小岩井農場 小岩井農場(こいわいのうじょう)は岩手県岩手郡雫石町にある日本最大の民間総合農場で、東京都の小岩井農牧株式会社が運営している。盛岡市から西北約12kmに位置し岩手山南麓に約3,000ヘクタールの広大な敷地面積を誇る。1890年(明治23年)11月1日に日本鉄道が東北本線を盛岡駅まで延伸開業した翌年の1891年(明治24年)、日本鉄道会社副社長の小野義眞、三菱社社長の岩崎彌之助、鉄道庁長官の井上勝の三名が共同創始者となり3名の姓の頭文字を採り『小岩井』農場と名付けられた。当時のこの地域一帯は、岩手山からの火山灰が堆積し冷たい吹き降ろしの西風が吹く不毛の原野で、極度に痩せた酸性土壌であったという。
denn小岩井農場・まきば園(牧場館)
小岩井農場・まきば園
しずくいし
雫石
雫石の山々(左折すると雫石スキー場へ、右折が小岩井農場、網張温泉方面へ)
雫石町(しずくいしちょう) 岩手郡雫石町は、岩手県の中部にあって岩手山の南麓に位置する町。西側は秋田県(仙北市)と接しています。温泉やスキー場、小岩井農場を擁するなど、観光に力を注いでおり、1993年には、雫石スキー場でアルペンスキー世界選手権雫石大会が行われています。
雫石から望む岩手山
 
〔編集後記〕
本ページのBGMに用いている『南部蝉しぐれ』は、福田こうへい(1976年生まれ、岩手県盛岡市出身)さんの歌謡曲で、WaShimoのカバーによります。”南部盛岡雫石〜♪ 思えば遠いふるさとよ〜♪”と、都会から故郷の南部盛岡雫石へ思いを馳せる歌。2011年3月11日に発生した東日本大震災の復興への願いを誘いますが、1年前の2010年6月に発売されています。この曲に感銘を受け、カラオケで練習をしている中で当地の盛岡、雫石を旅行できたのも感激でした。そこで、BGMに使ってみました(まだまだ改善すべき個所がたくさんあるのですが・・・)。
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