♪ヴェニスの舟唄
Piano1001

         
        
旅行記 ・安芸の宮島(厳島) − 広島県廿日市市  2010.08
 
 厳島(宮島)
高さ16mの大鳥居(写真上)
女ふたり旅
れ、平安時代末以降は厳島神社の影響力の強さや海上交通の拠点としての重要性からたびたび歴史の表舞台に登場しました。江戸時代中期からは、日本屈指の観光地として栄えてきました。現在では人口1800人余りの島に、年間300万人近い参拝客・観光客が訪れます。『厳島』と『宮島』という呼称の使い分けについては、明確な決まりはないようで、観光PR上、読みやすさや漢字の平易さから『宮島』を選ぶことも多いという程度のようです。
厳島(宮島)
厳島(いつくしま)は、瀬戸内海西部、広島湾の北西部に位置する島です。通称は宮島(みやじま)、また安芸の宮島ともいい、行政区分は広島県廿日市市宮島町。松島(宮城県)、天の橋立(京都府)と共に日本三景のひとつとして知られる景勝地で、1996年にユネスコの世界遺産(文化遺産)登録されました。鳥居の高さは、16メートル。宮島は、古代から島そのものが自然崇拝の対象だったとさ
真夏の陽射し(写真上)
宮島の定番風景の一つ(写真上) 
海より境内の正面を見る(写真上)
ごろに平清盛が現在の社殿を造営しました。平家一門の隆盛とともに盛え、平家の守り神でした。平家滅亡後も源氏をはじめとして時の権力者の崇敬を受けます。戦国時代に入って世の中が不安定になると社勢が徐々に衰退しますが、毛利元就が弘治元年(1555年)の厳島の戦いで勝利を収め、厳島を含む一帯を支配下に置いて崇敬するようになってから再び隆盛しました。元就は大掛かりな社殿修復を行い、豊臣秀吉も九州遠征の途上で当社に参り、大経堂を建立しました。
厳島神社
景勝地としての宮島の中心は、厳島神社です。宮島は、古代より島そのものが神として信仰の対象とされてきました。推古天皇元年(593年)、土地の有力豪族であった佐伯鞍職が社殿造営の神託を受け、勅許を得て御笠浜に社殿を創建したのに始まると伝わっています。文献での初出は弘仁2年(811年)で、延喜式神名帳では「安芸国佐伯郡 伊都伎嶋神社」と記載され、名神大社に列しています。平安時代末期に平家一族の崇敬を受け、仁安3年
朱塗りの五重塔(写真上)
干潮時の境内(写真上)
 
 夕映えて
夕映えの鳥居〜JR西日本宮島フェリーより(写真上)
夕方に満潮となりました(写真上)。
朱色の影を水面に映して(写真上)
境内は夕映えて更に赤く(写真上)
朱一色の回廊(写真上)
経典を筆写したのは平家の一族で、清盛・重盛・頼盛・教盛など。それぞれ一巻を分担する形で筆写しました。長寛2年(1164年)に厳島神社に奉納さましたが、全体の完成には仁安2年(1167年)までかかったと言われます。全点が昭和29年(1954年)、国宝に指定されました。現在厳島神社が所蔵しており、レプリカが厳島神社宝物館で公開されています。
平家納経
『平家納経』(へいけのうきょう)は、平安時代に平家一門がその繁栄を願い、厳島神社に奉納した経典類の総称で、法華経30巻、阿弥陀経1巻、般若心経1巻、平清盛自筆の願文1巻と、経箱・唐櫃からなります。経典に施された装飾は絢爛豪華で、平家の栄華を今に伝えています。平安時代の装飾経の代表作で、当時の工芸を現代に伝える一級史料でもあります。
  追いしそたくさんの酒樽、美味しそう(写真上) 
大鳥居、夕暮れのシルエット(写真上)
【宮島へのアクセス】 JR西日本宮島フェリーと宮島松大汽船のフェリーが、宮島口港(JR宮島口駅から徒33分、広電宮島口駅から徒歩1分)から厳島までを結んでいます。所要は約10分。JR宮島航路は宮島港行きの昼間時間帯のみ、西に少し大回りして厳島神社に近いコースをとり、満潮時には大鳥居に接近します。また、広島港からはファーストビーチの高速船(所要約30分)があるほか、客船『銀河』による厳島までのランチクルーズもあります。厳島神社と同様に世界遺産である原爆ドームと合わせて訪れる観光客も多いことから、広島市内の平和記念公園と厳島を結ぶ『世界遺産航路』(アクアネット)というものも就航している。 
【備考】このページの説明文は、すべて『ウィキペディア』(厳島、厳島神社)から転載したものです。
                              
あなたは累計
人目の訪問者です。
 
Copyright(C) WaShimo All Rights Reserved.