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旅行記 ・三角西港を訪ねて − 熊本県宇城市  2012.10
みすみにしこう
三角西港
三角ノ瀬戸をはさんで対岸の大矢野島(上天草市)から見た三角西港
三角西港 宮城県の野蒜(のびる)港、福井県の三国港と並ぶ明治三大築港の一つとして、明治政府の国内統一、殖産振興の政策に基づき国費を投じて建設された地方港湾の一つで、オランダ人水理工師ムルドルの設計によって、明治17年(1884年)から明治20年(1887年)にかけてつくられました。特に、その歴史的価値として、オランダの築港技術が導入されていること、港湾施設のみならず背後を含めた都市づくりが一体的に整備されたことなどがあげられます。(地図で場所を確認する
往時の繁栄を物語る版画と石積み埠頭
ヨーロッパ風の町並みで栄えた三角西港でしたが、明治32年(1899年)に開通した九州鉄道三角線が三角東港止まりだったために、西港はしだいに衰退し、時代から取り残されていきました。そのためにかえって明治20年築港当時の姿を良く残しているといわれます。築港後、一世紀の歴史を持ちながら築港当時の都市計画がほとんど無傷のまま残されているのは全国的にめずらしく、その文化的遺産は高く評価され、その保存的価値が再認識されています。平成14年(2002年)に埠頭、排水路、石橋が国の重要文化財に指定されました。
コロニアル様式2階建ての浦島屋
浦島屋 ヨーロッパ調のコロニアル様式2階建てながら『浦島屋』とは不思議な感じのするネーミングです。元々浦島屋は、三角西港開港当時熊本には東京から見える客を泊める立派なホテルがないというので、迎賓館的施設として、明治20年(1887)に建てられたホテルでした。ところが、明治32年(1899年)に開通した九州鉄道三角線が東三角止まりとなるに及んでホテルは廃業となり、明治38年(1905年)に国が買い上げて解体後、中国の大連に運ばれ日本式旅館浦島屋として使用されました。
ちょうどスポーツカーが集合していました。
港湾環境整備事業により平成4年(1992年)に数枚の写真をもとに透視図が作成されて復元されたのが現在の建物です。浦島屋は、三角西港に約18年間しか建てられていなかったため幻のホテルと呼ばれていますが、開業6年後の明治26年7月22日、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)が、長崎からの帰途に立ち寄り、このホテルを舞台に、浦島伝説を題材にした『夏の日の夢』と題する紀行文を書いたことで知られています。
集合したスポーツカー
当時の浦島屋は、大浦天主堂やグラバー邸・リンガー邸などの建設を手がけた小山秀(秀之進)の手によるものだったそうです。『三角には、西洋式に建築され、内装された浦島屋というホテルがありますが、― 太陽が蝋燭よりも良いように、長崎のホテルよりもはるかに良いものです。また、とても美人で― 蜻蛉(かげろう)のような優雅さがあり― ガラスの風鈴の音(ね)ような― 声をした女主人が世話をしてくれました。』(ラフカディオ・ハーン著『手紙』より)
明媚な風景に白のスポーツカーは違和感を感じません
石積み埠頭 有明海に臨みながら、良港を持たない熊本にとって、港は江戸時代からの悲願というべきで、三角西港の築港にかけた期待と、完成の喜びは数々の逸話に伝えられているそうです。この港の設計にあたったのは、内務省お雇いのオランダ人一等技師ルーエンホルスト・ムルドルでした。
当時のままの石積み埠頭で休日を過ごす人たち(三角ノ瀬戸の向こうは上天草市)
三角西港は、調査の結果、優れた天然の良港であるとして築港が開始され、すべて砂岩の切り石積で施工されています。高度な石造技術を用いて築かれた埠頭は長さ756mにも及びます。やがて九州鉄道三角線が開通して三角東港が整備されると西港の港としての機能は廃れましたが、それがかえって、石積みの埠頭など当時の施設をほぼ原形のまま残す結果となりました。
龍驤館(りゅうじょうかん)
龍驤館(りゅうじょうかん) 明治天皇即位50周年記念として計画され、郡立図書館として使用。登録有形文化財。テラスで結ばれた宝形造、方形平面の二棟を配しています。屋根は破風付の寄棟造で、軒下小壁ではハーフティンバー風に木部を見せています。大正期らしい簡略化されたスティックスタイルの建築物。
ムルドルハウス・物産館。八角柱の形が特徴的
ムルドルハウス・物産館 八角柱の形をしたお洒落な建物は、地元産業の振興を目的に建てられた物産館で、地元の伝統工芸品、特産品を展示・販売をしています。愛称は、三角西港築港の設計指導に当たったオランダ人水理工師・ムルドルの名にちなんでつけられました。 
石積みの排水路『中の水路』
中の水路 山裾から海岸へと流出する石造りの排水路で、底も側面も石積みで造られています。明治20年竣工。水路の曲がり角を直角ではなくカーブをつけて作られているなど、当時の最先端の工法で作られました。平成14年(2002年)に国の重要文化財に指定。
中の水路。底も側壁も石積み造られています。
三角西港は、平成14年(2002年)に、埠頭、排水路(中の水路)、石橋が国指定重要文化財に指定されていますが、平成24年(2012年)7月に新たに集落内を通る後方水路が追加指定されました。指定された後方水路は、市街地の背後の山裾に沿って設置された813mに及ぶ石造りの排水路です。
中の水路、ムルドルハウスと三角築港記念館が織りなす景色
日本列島のなかでアジアに最も近い九州・山口地方には、日本の近代化の大きな原動力になった近代化産業遺産群が保存されていて、平成21年(2009年)に22地区がユネスコ世界遺産暫定リストに記載されました。そのエリア7(三池炭鉱、鉄道、港湾(福岡県・熊本県)の中に三角西港も含まれています。
三角築港記念館(旧三角海運倉庫)
三角築港記念館(旧三角海運倉庫) 三角西港繁栄時には、埠頭に面して数多くの倉庫が並んでいました。旧三角海運倉庫はそのうちの一つで、開港当時は米倉として使用されていたそうです。桁行25m梁間7m規模の土蔵造2階建で、その頑丈なつくりが往時の繁栄を偲ばせています。平成9年(1997年)に改装されて、本格的レストラン『オランダカフェ』として開業。シーフードを使ったオムライス・カレー・パスタやハンバーグなどが楽しめるレストランとなっています。
平成10年に復元された旧高田回漕店
旧高田回漕店 明治20年代に建てられた回漕(かいそう)問屋で、平成10年(1998年)に復元されたもの。回漕問屋とは、沿岸航路で旅客、貨物輸送の取り次ぎをした問屋のこと。高田回漕店は4隻の汽船(正義丸、播磨丸、明淳丸、筑後丸)を所有し、荷物や乗客を扱っていました。1階に6部屋、2階に6部屋、後ろに水屋があります。
灯台をかたどったオブジェ?
宇土市から国道57号を使って三角西港にアクセスするとき、まず目に付くのが上の写真に示すオブジェです。昔の灯台をかたどったオブジェのように見えます。多角錐の形をした土台にはめ込まれている写真は、ローウェンホルスト・ムルドルの写真だそうです。
天草一号橋から眺める三角ノ瀬戸(写真中央付近が三角西港)
【参考サイト】
(1)三角西港物語
(2)熊本県 宇城市−三角西港(熊本県宇城市公式ホームページ)
(3)三角西港公式サイト
(4)三角港−Wikipedia
 
 レポート ・ラフカディオ・ハーンと浦島太郎
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