♪愛のロマンス
MIDIクラシックギター

       
      
旅行記 ・白い村ミハス − スペイン(3)  2011.07
白い村ミハス
 ビルヘン・デ・ラ・ペーニャ広場から眺めるホテル・リゾート街の家並み
白い壁とレンガ色の屋根がきれいです
昼食をとったHOTEL MIJAS
マラガから海岸に沿ってさらに南西に20数km進むと、右手山の中腹斜面にへばりつくようにミハス(Mijas)はあります。さらに西へ10数km進めば、もうイギリス領ジブラルタル海峡に着くという、スペイン南端部に位置しています。コスタ・デル・ソルを見下ろす標高428mにあって、人口約35,000人。白壁とレンガ色の屋根という典型的なアンダルシアの家々が建ち並び、白い村ミハスとして知られています。
  白い村ミハス(Mijas)
グラナダから南西へ約120km、高速道路を1時間強走れば、マラガ(Malaga)という、地中海に面した人口56万人の都市に出ます。画家のピカソの出身地としても有名な町です。地中海に面したこの辺りの海岸は、コスタ・デル・ソル(Costa del Sol)『太陽海岸』と呼ばれるリゾート地で、バカンスシーズンのみならず、年間を通じて訪問客が多いところです。
HOTEL MIJASへ
 ビルヘン・デ・ラ・ペーニャ広場は観光バスの降り場で、自家用車の駐車場になっています
あちこちで観光馬車が営業をしていました。ロバがひくのはロバタクシーと呼びます
お土産店も白い家並みに溶け込んでいます
SUPERMERCADOは、スーパーマーケットのことです
そして、路地が狭いのも日差しが差し込むのを避けるためです。そのようなアンダルシア地方の白い家並みの典型が白い村ミハスです。毎年一回壁を塗り直しているそうですから、どの家も新築のように真っ白です。ミハスの路地の幅は広い方ですが、それでも走っている車はほとんどが小型車です。
スペインの南部地方のアンダルシの家並みは、壁が真っ白に塗られた白い家とその間を迷路のようにぬう狭い路地が特徴的です。壁を白く塗るのは景観のためではなく、強烈な太陽の日差しを反射させて暑さをしのぐ工夫です。また、石灰を塗ると壁に虫がわきにくいそうです。まめな家は、毎年、家族総出で塗り直します。
CARLINGとあるいはイギリスのビール銘柄?
ミハスで一番絵になる通りといわれるサン・セバスチャン通りの裏通り
温暖な地中海性気候の下で咲き誇るブーゲンビリアの花。NOVOは、アロマグッズの店
 大通りを連なって走る観光馬車やロバタクシー
サンセバスチャン教会
観光地ですから、通りに面して、レストランやジュース・アイスクリームなどを売る店のほか、アロマグッズや陶器、オリーブオイルなどを売る土産店が軒を連ねていますが、どの店も白いミハスの村に溶け込んだ店づくりがされていて、いかにも観光地といった雰囲気は微塵も感じられませんでした。
コスタ・デル・ソルの山の中腹に点在する村々は、いずれもヨーロッパ各地の金持ち層の別荘地です。ミハスもその例に漏れませんが、ミハスは完全な観光地となっており、今でもタクシー代わりに馬やロバが使われるのは、観光客を乗せるためです。村は広くはなく、1時間程度でミハス村一周が可能です。
『 MUSEO DEL VINOは、ワイン博物館のこと
白い家並み、白い路地に赤い車が引き立ちます
白壁に飾られた陶器類。陶器のお土産店です
 一軒一軒鉢植えの花が飾られています。ここには、瀟洒な白い家に似合った生活があるようです
午後、眩しいばかりの陽光を受けて・・・
アンダルシア地方の草花を押し花にしてガラスの中に埋め込んだアクセサリーで、携帯ストラップはちょっとしたお土産に最適でした。また、エニェ(ENE)という店で売っているTシャツは、いかにもスペン風のデザイン柄がオシャレなオリジナルのTシャツで、人気だそうです。
お土産としては、ノボ(NOVO)あるいはマリポサ(MARIPOSA)という店などで売っているアロマグッズ、スペイン産サフラン(香辛料)、バージンオリーブオイル、オリジナルパッケージングした100%無添加オリーブオイル石鹸などが目につきました。アマポーラ(AMAPOLA)という店では可愛いアクセサリーを売っていました。
坂道に直交して横に通る通りも白い家並み
瑠璃色の花がミハスの白い坂道を一層引き立てていました
ミハスもまたヨーロッパ各地の富裕層の別荘地だといわれています
 愛のロマンス
BGMに、スペインのギタリスト、ナルシソ・イエペスの『愛のロマンス』を使ってみました。ご承知の通り、フランス映画『禁じられた遊び』(ルネ・クレマン監督、1952年公開)の主題曲です。映画は、1940年のフランス郊外、ドイツ軍の爆撃で両親と愛犬を亡くし、無邪気なお墓作りごっこに没頭する幼女と、彼女のために十字架を盗み続ける少年の哀しい物語を描いたものです。クレマン監督は、当初、アンドレス・セゴビアに音楽を担当してもらう予定でしたが、すでに映画制作に予算を使い果たし、セゴビアとは制作費の折り合いがつかずにいました。そんな折、パリのカフェでイエペスと偶然知り合ったクレマン監督は、当時まだ新人だったイエペスに音楽担当の依頼をすることになりました。24歳のイエペスは、スペイン民謡を原曲に、1本のギターだけで音楽の編曲・構成・演奏を行いました。映画が公開されると、そのメインテーマ曲は大ヒットし、イエペスは世界的に有名なギタリストとなりました。
 
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