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旅行記 ・日本三景松島 − 宮城県宮城郡松島町  2010.03.29
国の特別名勝・松島
銀色に煌く松島湾の水面(写真上)
五大堂から眺める松島湾(写真上)
西行戻しの松公園 
西行法師が諸国行脚の折り、松の大木の下で出会った童子と禅問答をして敗れ、松島行きをあきらめたという由来の地。高台にあり松島湾を一望でき、遠くは金華山も望むことができます。この公園の一帯は260本余のソメイヨシノの名所で、4月中旬から5月上旬にかけて咲き乱れ、桜と松島湾の景色が一体となって素晴らしい景観を呈するそうです。
  松島
『松島』は宮城県松島湾に浮かぶ大小260余りの島の総称で、古来から風光明媚の観光地として知られ、宮島(広島県)、天橋立(京都府)と並び日本三景の一つとされます。松島は、丘陵が沈降し、小高い部分だけが島として残って、現在の景観が形づくられたといわれています。松島湾の景観とともに、伊達政宗公が心血を注いで完成させた国宝・瑞巌寺をはじめ、国重要文化財・五大堂や落ち着いた佇まいを見せる円通院や三聖堂などの歴史的建造物を楽しむことがでます。
西行戻しの松記念碑(写真上)
 西行戻しの松公園から眺める松島湾の風景(写真左)
五大堂
松島のシンボル的存在の五大堂(写真上)
五大堂から松島湾を見る(写真上)
五大堂の『すかし橋』
瑞巌寺守護のために五大明王が祀られている堂宇である五大堂は島全体が聖域とされています。『すかし橋』は、江戸時代中頃の記録にすでに見られ早くから透(すか)しの構造であったことが知られる。五大堂への参詣には身も心も乱れのないよう脚下(あしもと)をよく照顧して気を引き締めさせるための配慮と思われる。
  五大堂(国重要文化財) 
松島のシンボル的存在の五大堂は、大同2年(807年)、坂上田村麻呂が毘沙門堂を建設したことから始まり、後に慈覚大師が瑞巌寺を建て、五大明王像を安置したことから五大堂と呼ばれるようになりました。現在の建物は仙台藩祖伊達政宗公が、瑞厳寺再建の折に紀州の大工を招請して再建したもので、単層宝形造の屋根が特徴。内部には、一木彫平安朝初期の作風をとどめる五代明王像が安置されており、33年に一度御開帳。近年では、平成18年8月に御開帳されています。 
すかし橋(写真上)
五大堂(写真上) 
    
国宝・瑞巌寺
総門(写真上)
杉木立の参道(写真上)
 瑞巌寺(ずいがんじ)
瑞巌寺は奥州随一の禅寺で、仙台藩祖伊達政宗公の菩提寺。正式名称を『松島青龍山瑞巌円福禅寺』といいます。平安の初めの天長5年(828年)、比叡山延暦寺第三代座主慈覚大師・円仁が淳和天皇の詔勅を奉じ、3000の学生・堂衆とともに松島に来て建立しました。延暦寺と比肩すべき意を持って延福寺と命名され、平泉・藤原氏の外護を受けました。現在の建物は、慶長14年(1609年)、政宗公が桃山様式の枠をつくし、 5年の歳月をかけて完成させたもの。
   総門(そうもん)と参道
  総門は、一間一戸袖塀付の薬医門。慶長14年(1609年)、伊達政宗によって建立されました。105世天嶺性空の最晩年の筆によるものといわれる扁額が掛けれてています。山門をくぐると杉木立が遠く続く参道ですが、山門を潜ってすぐ右手に目に付くのが洞窟群。ちょっと異質な空間で、五輪塔や笠付塔婆など無数の墓標が安置されたり、壁面に彫りつけられています。洞窟は、元来は納骨や供養のための施設で、造営は鎌倉時代にさかのぼり、江戸時代まで続いたそうです。
 洞窟群の地蔵(写真上)
瑞巌寺の洞窟群(写真上)
洞窟群の前の石仏の一つ(写真上)
 延命地蔵
本堂手前入口に鎮座し、訪れる観光客たちを眺めている青銅仏が『延命地蔵』。江戸末期の1863年に鋳造されたもので、右手に錫杖、左手に宝珠を持っています。飢饉の際に難民の救済をした瑞巌寺117世中方明哉和尚が大変長命だったので、それにあやかるのと同時に飢饉で亡くなった水子の冥福を祈って造られたそうです。
宗派と寺号は天台宗延福寺、臨済宗建長寺派円福寺、現在の臨済宗妙心寺派瑞巌寺と変遷しました。毎年、11月第2日曜日には芭蕉祭が行われる。また、大晦日の火防鎮護祈祷である『火鈴巡行』と一般も撞ける除夜の鐘が有名である。 境内には、『臥龍梅』と呼ばれる紅白二本の梅の木があり、伊達政宗お手植えと伝えられています。
  
残念ながら、
本堂・中門・御成門は大修理により平成21年9月1日から平成28年3月ごろまで大修理のため非公開となっており、拝観できませんでした。
  延命地蔵(写真上) 
     
 三聖堂
三聖堂(写真上)
比翼塚(写真上)
 どんじき茶屋
円通院の前、三聖堂の隣にある、茅葺屋根の風情ある建物は『どんじき茶屋』というお店。藩政時代の船方の屋敷をそのまま移築、したもので、三聖堂や円通院山門の茅葺と良く調和がとれています。店内には囲炉裏もあり懐かしさが漂う。人気の『三色だんご』『味噌おでん』などがおすすめだとか。
   三聖堂
天和2年(1682年)、瑞巌寺101世鵬雲によって建てられた方3間の素木造のお堂。瑞巌寺のすぐ近くにあります。屋根は宝形造で茅葺、正面に一間の向拝のついた、素朴端正な建物です。堂内正面中央に聖観世音菩薩、左に達磨大師、右に菅原道真を安置したことから三聖堂といいます。創建以来、屋根替え以外の修理は行われていないそうです。三聖堂の扁額は、創建者鵬雲の筆による。創建当時の棟札が残されています。33年に一度の御開帳。近年では、平成18年8月に御開帳されています。 
どんじき茶屋(写真上)  
どんじき茶屋(写真上) 
         
円通院
本堂・大悲亭(写真上) 
円通院山門を内側から見る(写真上)
三慧殿(さんけいでん)(写真上)
   円通寺(えんつうじ)
臨済宗妙心寺派(みょうしんじは)の寺院です。日本三景のひとつ宮城県松島町にあります。周囲には国宝瑞巌寺や五大堂など、静寂で厳粛な趣きのある場所に囲まれています。また、三陸三十三観音霊場の第1番札所とされております。
 
伊達政宗の嫡孫(ちゃくそん)光宗の霊廟として、正保4年(1647年)瑞巌寺第100世洞水和尚により三慧殿(さんけいでん)が建立され開山されました。
庭園から大悲亭を見る(写真上)  
本堂の大悲亭(だいひでん)は光宗公の江戸納涼の亭として使われていた建物を解体移築されたもので、寄棟造萱葺で禅寺らしい落ち着いた佇まいを見せています。山門は開山と同時に建てられたと考えられ、萱葺(かやぶき)で一間一戸の薬医門です。本堂と共に松島町指定文化財となっています。
 
円通院には、約350年前に造られた心字池と観音菩薩が住む補陀落山を中心にした庭園があり、この庭は
小堀遠州 (江戸時代の日本を代表する作庭家) 作と言われています。
  
本堂からさらに奥まったところにある光宗公の霊廟・
三慧殿(さんけいでん)は、技術の粋をつくした伊達家屈指の建築物で国の重要文化財に指定されています。洋バラが描かれた厨子があります。
庭園(写真上) 
【編集後記】
国の特別名勝・松島も、2011年3月11日に起きた東日本巨大地震による大津波に見舞われましたが、隣の東松島市の犠牲者が650人を超えたのに対して、島々の対岸にある松島町の死者は1人にとどまったそうです(22日午後6時現在)。これは、松島湾内に点在する島々が緩衝材となり、津波の勢いを弱めたためではないかと考えられているそうです(3月23日YOMIURI ONLINEより)。それでも、松島の海岸沿いの町並みは、ほとんどが津波の被害を受け、船が海岸へ乗り上げ、島々を結ぶ橋は津波で跡形もなく消え、遊覧船や養殖棚が流されるなど、甚大な被害を受けたそうです。国宝・瑞巌寺は、庫裏の壁にひび割れができたほか、重要文化財17件、史跡5件が破損するなどの文化財被害受けたそうです。ここにアップした松島の風景は、丁度1年前の2010年3月末の景色ですが、このような松島の本来の風景が戻り、観光で賑わう日が一日でも早く来るよう願ってやみません。(2011年3月29日記) 
【参考サイト】
(1) 国宝・瑞巌寺
(2) 松島の観光名所 臨済宗妙心寺派 円通院
(2) ウィキペディア『瑞巌寺』
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