♪雪傘
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旅行記 ・小石原、雪になって − 福岡県朝倉郡東峰村  2013.01
小石原
小石原の風景
福岡県の中東部に位置する小石原(こいしわら)は、標高200m〜500mの高原の村です。旧小石原村に属していましたが、2005年(平成17年)に宝珠山村と合併し東峰村が発足しました。東峰村をほぼ南北に縦走して走る国道211号線沿いを中心に、三百年の伝統を持つ『小石原焼』の窯元50軒が点在しています。
道の駅・小石原
道の駅・小石原 小石原の国道211号沿いの中心にある道の駅『小石原』のイチオシは、生活に役立つ“用の美”が支持されている『小石原焼』の窯元50軒が出店している陶器コーナー。その他に、地元の新鮮な野菜等の即売を行う物産コーナー、レストランが設置されています。
小石原焼・小野窯
小石原焼 小石原焼は、1669年(寛9年)白旗山(現・飯塚市幸袋)から掛勤め(一年の内半年だけ滞在して双方で制作を行うこと)で鼓釜床にきていた高取焼初代高取八蔵の孫である八之丞が中野(大字小石原皿山)で陶土を見つけ移り住み、すり鉢や甕(かめ)類を焼いたことに始まりました。
小石原焼・国光窯(おっちゃん窯)
その後、1682年(天和2年)に、黒田藩三代藩主光之が肥前伊万里の陶工を招き、八之丞とともに中国の製法にならって磁器を作らせました。製品は、民用の日用雑器で、当時小石原焼は中野焼と呼ばれていました。中野焼は一時途絶えたと思われましたが、享保年間の末(1729年頃)再興され、磁器から陶器を作るようになります。
小石原焼・鶴見窯
この頃は、陶家8戸、登り窯3基だったそうです。1901年(明治34年)頃には、窯元10戸、共同登り窯2基で、当時から窯元は共同体的生産構造で、家内手工業的生産形態が長く続きました。大きな転機となったのは、第2次世界大戦後の物資不足による、すり鉢、甕類などの荒物への需要拡大でした。
小石原焼・鶴見窯
1948年(昭和23年)に九州民芸協会が設立された頃から九州における民芸運動が活発化して、小石原焼が広く民芸陶器として消費者に受け入れられるようになります。昭和40年代に入ると活況期を迎えます。窯元数は10年間に約15戸増加し、原土粉砕機や電動ろくろ、土練機など機械化が進み、生産量も増えました。
小石原の家並み
共同窯から個人窯が増え、市場は全国に広がり、製品は受注生産型から見込み生産型に変わります。1975年(昭和50年)に陶磁器として初めて通産省の『伝統的工芸品』に指定されます。1983年(昭和58年)ごろからの好景気で消費が拡大し、生産のピークを迎えます。昭和35年ごろ9戸だっ窯元数は、現在50戸を数えます。
小石原焼・善窯
生活雑器としての道を歩みながら、『用の美』を確立した小石原焼は、飛び鉋、刷毛目、櫛目、指描き、流し掛け、打ち掛け などの技法で表現される独特の紋様が特徴で、素朴で温かい風合が持ち味です。小石原焼の技法は大分県日田市の小鹿田焼(おんたやき)に伝わりっており、小鹿田焼とは姉妹関係にあります。
国道500号沿いの風景(行者杉よりの帰路)
人形工房 保徳 国道211号沿いの『東峰村ふれあいつづみの里』にある『人形工房・保徳』(写真下)は、博多人形師で伝統工芸士の小野保徳さんの工房です。店内には、土人形や香炉、香合など手仕事の高い技術が光る作品が並びます。
人形工房・保徳
1964年(昭和39年)15歳で博多人形師中村実氏に入門する。1973年(昭和48年)独立し人形工房を設立。1978年(昭和53年)には通産大臣賞を受賞。1984年(昭和59年)通産大臣より伝統工芸士に認定される。1990年(平成2年)内閣総理大臣賞受賞。1996年(平成8年)生まれ故郷の東峰村大字鼓に人形工房設立。
人形工房・保徳の作品
 
行者杉
行者杉の入口
小石原の英彦山方面に向かう北のはずれの山間に、約4.68haにわたる375本の杉の巨木群があります。これを『行者杉』(ぎょうじゃすぎ)といいます。樹齢は200年から600年。修験道が盛んだった昔、小石原は、日本三大修験霊場(吉野・熊野・英彦山)の一つ英彦山(ひこさん)に修験者が峰入りするための重要な修行の場でした。
巨木杉のひとつ
修験者たちが峰入りする際に杉の穂を植える習わしがあり、その杉が長い年月をかけて育ったものが行者杉の名で親しまれています。行者杉の中でも特に大きな巨木には、『大王杉』(幹回り約8.3m、樹高約55m)、『霊験杉』や『境目杉』、『鬼杉』などの名前がつけられています。
行者堂への坂道(護摩壇が見えます)
杉木立の中には今も修験の始祖、役行者(えんのぎょうじゃ)の木彫が安置されている行者堂や、石積みの護摩壇(護摩をたく炉を据える壇)などが残され、当時の面影を今に伝えています。『役行者』とは、飛鳥時代から奈良時代の呪術者である『役 小角』(えん の おづの)のこと)のことで、修験道の開祖とされています。
行者堂と石積みの護摩壇
役行者(えんのぎょうじゃ)が大蛇退治をしたとき、錫杖(しゃくじょう)で地面を撞(つ)いてできたと伝わる『香水池』は、今も清水が湧きています。古来より、五穀豊穣を願い病害虫駆除の霊薬として、近隣在郷から『お水もらい』が群参したといいます。
香水池
やまめ山荘
忽然と現れた山門
高取焼宗家十三代の奥様におすすめ頂いたのが、山里料理の『やまめ荘』です。小石原から国道500号を秋月まで下りて、大分自動車道に乗る帰路の途中にあるというので寄ってみることにしました。小石原から国道500号を下りて行きますが、それらしいところは見当たりません。
お食事処への敷石
見過ごしてしまったのかと、半ばあきらめかけていると、小石原から10分ほど下りたところの右手に忽然と山門が現れました。木立の中に佇む全くの一軒家です。山門をくぐると水車が迎え、敷地内には、もみじ、石楠花(シャクナゲ)、牡丹、椿などが植えられています。その時季時季に訪れるひとを楽しませることでしょう。
雪が降り出したお食事処
建物は、150年以上前の江戸時代からの古民家だそうです。お店の一角には木版画と小石原焼を常時展示し、不定期に朝倉地区の竹細工やステンドグラスも展示するギャラリーも併設されるそうです。山里料理は、やまめ料理をはじめ、朝倉牛や地鶏料理など、地元の素材の持ち味を生かした料理。
お食事処入口への案内
やまめコース料理は、塩焼き・甘露煮・背ごしなど、やまめを存分に堪能できます。室内には、どこか懐かしい雰囲気のする炭火の囲炉裏や掘りコタツ風のテーブルが配置され、それぞれの季節を演出してくれる牡丹、石楠花、紅葉などを窓越しに眺めながら食事ができます。
山水の趣があります
小石原を訪ねた1月下旬のこの日は、折しも昼から雪が降り出し、薄っすらと雪を頂いた古民家と山里の風景を見ることができてラッキーでした。緑陰の頃、石楠花の咲く頃、紅葉の頃には、またそれぞれの趣があることでしょう。機会があったらまた訪ねてみたいです。
お食事処、裏庭の風景
ここから江川ダム湖を経て国道500号を下りきったところが、福岡藩の支藩・秋月藩の城下町だった秋月。『筑前の小京都』と呼ばれ、町並みは国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。高取焼や小石原焼そして秋月探訪のドライブがてら、山里料理を楽しんでみませんか。
地鶏コース(手前)と朝倉牛コース(右)
DATA 彩花旬彩 やまめ山荘 TEL 0946-74-2728
福岡県朝倉郡東峰村小石原1612
11:00〜17:00 火曜定休(※臨時休業あり)
やまめコース   ¥1,600〜
朝倉牛コース   ¥2,600〜
地  鶏コース   ¥2,100〜
その時季には石楠花が綺麗なことでしょう
【参考サイト】
(1)小石原焼の歴史/東峰見聞録(東峰村観光情報サイト)
(2)小石原焼の特徴・飛び鉋/東峰見聞録(東峰村観光情報サイト)
(3)行者堂と香水池/東峰見聞録(東峰村観光情報サイト)

(4)やまめ山荘・山里料理/東峰見聞録(東峰村観光情報サイト)
(5)人形工房 保徳/東峰見聞録(東峰村観光情報サイト)
(6)有限会社 やまめ山荘/東峰村商工会
⇒ 高取焼宗家を訪ねて  ⇒ 小鹿田(おんた)焼を訪ねて
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