このページにアップした写真を撮ったあと、突然スコールのような土砂降りに見舞われ、泥まみれ、ずぶ濡れの踊りとなりました。金吾様踊り活性化実行委員会の会長をされている今東清光さんは、2年連続
”島津雨” に祝福されたようです。私が ”雨男” でしょうか? しかし、地域の結束が強くなって来ました。− とおっしゃいます。源頼朝の寵愛(ちょうあい)を受けて身ごもった丹後局(たんごのつぼね)は、頼朝の正妻・北条政子の逆鱗(げきりん)に触れ、追放されます。西国へ下る途中、摂津国住吉の住吉神社(現在の大阪市の住吉大社)の境内で男子を出産します。雨の降る夜更けのことで、狐が火を灯し無事に出産を終えたと伝えられています。島津氏の正史といもいうべき『島津氏正統系図』などによれば、この男子こそ、島津家初代当主・島津忠久だとされます。これにあやかって、鹿児島では、祝い事や門出のときに降る雨を『島津雨』(しまづあめ)と言います。 |