旭川にかかる鳴戸橋 |
『古代より海辺と山あいの物資輸送は川舟が中心であった。慶長年間角倉了以が高瀬川で使いだしてから高瀬舟の名が広まった。勝山は旭川の高瀬舟の起点で荷の揚げ下げはすべてこの船場でしており賑わった。県下でその面影が完全に遺っているのはここだけである』(写真右の石碑より)。
高瀬舟は、勝山から岡山までの16里(64km)を下り荷は鉄、木炭などを、上り荷は塩、砂糖などの生活必需品を往復1週間の行程で運び、勝山の繁栄を支えていました。 |
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高瀬舟船場跡
岡山県北部に位置する山あいの町・勝山は、三浦藩2万3千石の城下町として、出雲街道の宿場町として栄えた町でした。また、室町時代末期には旭川の水運が開かれ、高瀬舟の北の発着点として年貢米や林産物などの集積地として賑わいました。昭和60年(1985年)に岡山県下で初めて指定された『町並み保存地区』には、白壁の土蔵、連子格子と白壁の商家の家並み、高瀬舟発着場(船場)跡などが残り、往時を偲ばせています。 |
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高瀬舟船場跡 |
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