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旅行記 ・勝山町並み保存地区 − 岡山県真庭市  2011.05
勝山町並み保存地区
旭川沿いに約700mにわたって残る高瀬舟発着場(船場)跡の石畳
旭川にかかる鳴戸橋
『古代より海辺と山あいの物資輸送は川舟が中心であった。慶長年間角倉了以が高瀬川で使いだしてから高瀬舟の名が広まった。勝山は旭川の高瀬舟の起点で荷の揚げ下げはすべてこの船場でしており賑わった。県下でその面影が完全に遺っているのはここだけである』(写真右の石碑より)。
  
高瀬舟は、勝山から岡山までの16里(64km)を下り荷は鉄、木炭などを、上り荷は塩、砂糖などの生活必需品を往復1週間の行程で運び、勝山の繁栄を支えていました。
           高瀬舟船場跡
  
岡山県北部に位置する山あいの町・勝山は、三浦藩2万3千石の城下町として、出雲街道の宿場町として栄えた町でした。また、室町時代末期には旭川の水運が開かれ、高瀬舟の北の発着点として年貢米や林産物などの集積地として賑わいました。昭和60年(1985年)に岡山県下で初めて指定された『町並み保存地区』には、白壁の土蔵、連子格子と白壁の商家の家並み、高瀬舟発着場(船場)跡などが残り、往時を偲ばせています。
高瀬舟船場跡
南北800mにわたって江戸時代の建物が残る勝山の町並み
観光事業と日常の生活が一体化して溶け合っている感じの町並み
お店も自然体の雰囲気で営まれている感じです
背後に迫る山並みの緑が印象的
お店がたくさんありますが、町並みの折角の雰囲気を壊すような幟(のぼり)や看板もなく、自然体の姿勢で営業が営まれている感じでした。景観は、平成21年(2010年)春に電線類の地中化と御影風の舗装工事が完了していて、すっきり美しく、写真を撮る者にとって嬉しい限りでした。そして、ほとんどの家に、勝山のシンボルとなっている『のれん』がかかっているのに気づきます。
          勝山の町並み
  
勝山町並み保存地区を訪ねてまず持った印象が、四方を山に囲まれ、青々とした新緑の山並みが背後に迫ってきていることでした。勝山は現在は合併して真庭市になっていますが、旧勝山町は面積の約85%を山林が占め、古くから林業が盛んに行われ、西日本有数の木材産地となっています。つぎに、観光事業と日常の生活が一体化し溶け合っている印象を持ちました。
通りは御影風に舗装されています
電線類が地中に埋設されていてすっきりした町並み
”のれん”があたたかく客を迎えます
今から十数年前、元は酒屋さんだった古い家に加納さんが作った一枚ののれんがかけられたのが“のれんによる町おこし”のスタートだったそうです。加納さんが染めた春夏秋冬ののれんは、すぐに近所の評判になり、波紋が広がるように、一軒また一軒と増えつづけ、今や保存地区の通り沿いにのれんがかかっていない家は見当たらないほどになっています(1)
       のれんのある風景
  
『さえぎってるけど、行き来ができる。目隠しになり、それでいてちょっと入りたくなる気を起こさせる。眺めて楽しい。そして看板にもなる。』 のれん(暖簾)は日本独特の家具です。そののれんが勝山の新しいシンボルになっています。保存地区ののれん作りを一手に引き受けているのが、『ひのき草木染織工房』の草木染め作家・加納容子さんだそうです。
デザインも色もよくマッチしています
”のれんによる町おこし”の発信源になっている『ひのき草木染織工房』さん
お店、個人宅を問わず、ほとんどの家に”のれん”がかかっています
客を待つ人力車、町並みに雰囲気を添えています
  
また、毎年10月19日〜20日の2日間行われる秋の大祭『勝山まつり』は、各地区ごとに『だんじり』(山車)が組まれ、互いに激しくぶつかり合って喧嘩する勇壮な祭りです。近年では『勝山のお雛まつり』も新たな文化として定着してきているそうです。
            勝山の祭り
  
勝山町並み保存地区の伝統は建物だけでなく、無形の伝統文化が今も住民たちの生活の中に深く息づいているそうです(2)。毎年7月24日に開催される『天神祭り』は、通りの家々に学問の神様・天神様のお人形とお飾りが飾られる夏の祭りです。
懐かしいレトロな車が・・・
やがて山につながる保存地区の北の終端付近は『御前酒蔵元』
asah旭川のせせらぎと船場跡と家並み
【参考にしたサイト】
(1)特集 暮らしを潤すのれん:暮し百科:NORITZ
(2)
勝山の観光ガイド
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