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旅行記 ・唐津焼 − 佐賀県唐津市  2013.05.04
唐津焼総合展示場より
唐津焼総合展示場
唐津焼総合展示場は、唐津焼協同組合が運営する、見て・学んで・体験できる展示場です。JR唐津駅の東隣にある唐津市ふるさと会館アルピノの2階にあります。窯元の代表作を、普段使いの食器類を中心に展示即売しており、絵付け体験もできます。2013年のゴールデンウィーク、特別企画展が開かれていた唐津焼総合展示場を訪ねました(JR唐津駅より徒歩1分 、駐車場有り、営業時間は、 9:00〜18:00、 12/30・31・1/1の三日間は休み)。
中の辻窯(平山賢治)
中の辻窯(平山賢治)
曹源窯(小島直喜)
唐津市南部の旧・北波多村、旧相知町の区域には初期の古唐津の窯跡が残っているが、2005年の市町村合併以前の旧・唐津市の区域には古唐津の窯跡はほとんど残っていない。伊万里、唐津などの肥前の陶磁器は、文禄元年(1592年)から慶長3年(1598年)に至る豊臣秀吉の朝鮮半島への出兵(文禄・慶長の役)の際に朝鮮半島から強制的に連行された陶工たちが祖国の技術を伝え、開窯したというのが通説になっていた。
 
唐津焼(からつやき) 
唐津焼は、近世初頭から肥前国(現在の佐賀県および長崎県)に散在する諸窯で生産された陶器の総称である。唐津焼の名称は、製品が唐津の港から積み出されたことに由来するともいわれるが、定かではない。古唐津の窯跡は、現在の唐津市域のみならず佐賀県武雄市・伊万里市・有田町、長崎県佐世保市・平戸市などを含む広範囲に分布している。
denn王天家窯(福田泰山)
王天家窯(福田泰山)
佐志山窯(西川一光)
炎群工房(碇健)
菅ノ谷窯(桝田重信)
また、唐津の焼き物は京都、大坂などに販路を拡げたため、西日本では一般に『からつもの』と言えば、焼き物のことを指すまでになった。とりわけ、桃山時代には茶の湯の名品として知られ、『一井戸二楽三唐津』または『一楽二萩三唐津』(井戸は井戸茶碗、楽は楽焼(京都)のこと)などと格付けされた。
 
しかし、窯跡の調査、堺など消費地での陶片の出土状況などから、唐津焼の創始は文禄・慶長の役よりはやや早く、1580年代に開始されたとみられている。草創期は食器や甕など日用雑器が中心であったが、文禄・慶長の役の後の頃になると、唐津焼の特徴であった質朴さと侘びの精神が相まって、茶の湯道具・皿・鉢・向付(むこうづけ)などが好まれるようになった。
唐玄窯(島谷啓介)
炎群工房(碇健)
岸岳窯三帰庵(冨永祐司)
太兵衛窯(唐津屋太兵衛)
松円寺窯(大石泰浩)
明治維新によって藩の庇護を失った唐津焼は、急速に衰退、有田を中心とした磁器の台頭もあって、多くの窯元が廃窯となった。だが、後の人間国宝・中里無庵が『叩き作り』など伝統的な古唐津の技法を復活させ、再興を成功させた。現在は、約50の窯元があり、伝統的な技法を継承する一方で、新たな作品を試みるなど、時代の移り変わりの中で、着実な歩みを遂げている。(以上、ウィキペディアより抜粋、転載)
 
だが、江戸時代に入って窯場が林立したために、燃料の薪の濫伐による山野の荒廃が深刻な問題となった。それ故に、鍋島藩は藩内の窯場の整理・統合を断行、それによって窯場は有田に集約されたため、唐津も甚大な影響を被り、多くの窯元が取り壊された。しかし、唐津の茶器は全国でも評判が高かったため、茶陶を焼くための御用窯として存続した。その間の焼き物は、幕府への献上品が多数作られたため、献上唐津と呼ばれる。
中野窯(中野陶痴)
太兵衛窯(唐津屋太兵衛)
唐玄窯(島谷啓介)
杉谷窯異中庵(夏秋隆一)
 唐津くんちの曳山を訪ねて − 佐賀県唐津市
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