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かまふたじんじゃ(いたてつわものぬしじんじゃ) |
釜蓋神社(射楯兵主神社) |
釜蓋神社(射楯兵主神社) |
開聞岳(指宿市開聞十町)の麓から 国道226号を枕崎方面へ10数キロメートル走れば、薩摩半島の南端の 入り江の岩礁が突き出た所(南九州市頴娃町別府)に、 |
境内から開聞岳を望む |
鎮座するのが 釜蓋神社(かまぶたじんじゃ)、正式名称を射楯兵主神社(いたてつわものぬしじんじゃ)といいます。 小さい神社なのに、県内のみならず県外から参拝者が絶えません。 |
釜蓋神社・正面 |
有名なスポーツ選手や芸能人も 多く訪れ、今やいわゆるパワースポットになっています。そんな人気の理由は、 古くから武(武士道・勝負)の神様として畏敬されていたことに加え、 |
『釜蓋願掛け』参拝 |
釜の蓋を頭に乗せて落とさずに 鳥居から拝殿まで行くことができたら願いが叶うというユニークな『釜蓋願掛け』参拝方法や 素焼きの釜蓋(小さなレプリカ)を投げる『釜蓋投げ』参拝方法にあります。 |
『釜蓋願掛け』参拝 |
神社の由来書きに以下のようにあります。 〜 竈蓋(釜蓋)神社(かまふたじんじゃ)の別名がある。祭神は素盞嗚尊(すさのおのみこと)に なっており、高さ三十センチメートルの石体が御身体となっている。 |
たくさんの釜蓋 |
早馬(はやま)神社(松永)・戸柱(とばしら)神社の合祀。 武の神で有名。1716年(享保元年)に社殿が焼けて、次の年、これを造りかえた。この神社の起こりは、 天智天皇と大宮姫が御領の安東実重(あんどうさねしげ)中将を訪ね、 |
釜蓋とおみくじ納め所 |
その接待のため何十石という米を蒸(も)しているとき 突風が吹き、その釜蓋が吹き飛ばされ大川浦(現在地)に落ちた。土地の人々は、この釜蓋を拾い、 神として祀り、名づけて竈蓋大明神(かまふただいみょうじん)といった。 |
絵馬掛所 |
これに素盞嗚尊を配祀(はいし)して、 現在は射楯兵主神社(いたてつわものぬしじんじゃ)という。これが竈蓋神社の起こりと いわれるが、この神社は、開門神社(ひらききじんじゃ)の末(すえ)で、 |
『釜蓋投げ』 |
最も古くから神社があり、島津充久が寛文七年 (1667年)修復したという記録がある。戦時中は武の神様として仰がれ、窯蓋をかぶって参拝すると、 無事に帰ってこられるということで、多数の参拝客が訪れた。 〜 以上現地の説明板より。 |
釜蓋神社の絵馬 |
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