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旅行記 ・法然院 − 京都の紅葉(1) − 京都市  2013.11.30
ほうねんいん
法然院
木漏れ日の
逆光のなかで、シルエットとなって浮かび上がる山門と人の影。
この寺の佇まいを予感させます。
鄙びた趣きをもつ
茅葺の数奇屋造りの山門をくぐると目に入るのが、参道の両側にしつらえられた
白砂壇
(びゃくさだん)と呼ばれる白い盛り砂。
水を表わす
この砂壇の間を通ることは、心身を清めて浄域に
入ることを意味しています。
砂壇上には、たとえば
流水上を浮かんで流れる楓の落ち葉など、水の表象を
基調とする紋様が描かれます。
その波紋様は、4〜5日おきに
季節に合わせ、描きかえられるそうです。これもまた、この寺を訪ねる
楽しみの一つでありましょう。
講堂(写真上)は、もとは
元禄7年(1694年)建立の大浴室でしたが、昭和52年(1977年)に内部を改装し、現在は講堂として、
講演会・個展・コンサートなどに利用されています。
本堂(写真上)には、
悲願会
(ひがんえ)の案内や気仙沼ミサンガプロジェクトの
ポスターなどが見えました。
 
悲願会(ひがんえ) 
法然院では、芸術家の発表の場やシンポジウムなどの会場として寺を積極的に開放しています。法然院を訪ねた日は、東日本大震災に関して、一切衆生の成佛を祈り、被災者に心を寄せ、被災地の復興にかかわる決意を表す1週間として、法要・コンサート・慈悲市(バザー)・美術作品の展示・茶会などを執り行なう第六回悲願会(2013年11月27日〜12月1日)が開催されていました。
法然院
善気山萬無教寺と号する浄土宗系の単立寺院である。鎌倉時代の初め、法然上人が弟子の住蓮、安楽とともに、阿弥陀仏を昼夜に六回拝む六時礼讃を勤めた草庵で、寛永年間(1624〜1644年)ほとんど廃絶していたが、延宝8年(1680年)に知恩院の第38世萬無心阿上人と弟子の忍澂和尚が念仏道場として再興した。本堂には恵心僧都作の阿弥陀如来坐像と法然上人自作木像を安置し、直壇には毎朝二十五の生花が散華される。方丈は、桃山御殿の遺構を移建したものといわれ、襖絵十四面の『桐に竹図』『若松図』『槇に海棠図』及び屏風の雪松図はいすれも重要文化財に指定されている。参道に散る椿は名景として知られており、境内には、 文学者・谷崎潤一郎夫婦、日本画家・福田平八郎、経済学者・河上肇、哲学者・九鬼周造など多くの学者や文人の墓がある。
(京都市の案内板より)
【お便り紹介】
本ページをご覧頂き、お便りを頂きましたのでご紹介致します。◆秋の京都はどこも素敵ですよね。法然院は40年前、まだ大阪に就職して間もない若い頃、傷心旅行で行きました。若さゆえただただ何も前向きな考えも浮かばず、法然院までの歩く道すがらの秋の木々の美しさと足音だけは、今も覚えています。でも、秋の法然院周辺の美しさに癒されたのも事実(2013.12.03 鹿児島市在住のNさんより)。◆仏教渡来後、日本独自の仏教の発展の初期に位置した法然さん。その人柄はどこまでも優しく奥ゆかしかったそうですね。甲子園でたまに流れる上宮高校の校歌。これが法然さんの古歌からとられているのを知ったときは衝撃でした。『月影の いたらぬ里は なけれども 眺むる人の 心にぞ澄む』 天皇皇后両陛下はいまインドを訪問されていますが、吾等のこころを澄ませばすでに御影が届いているという有難さ。これは仏教国であり親日国でもあるインドの人たちと共有できる認識ではないかと思われてなりません(2013.12.05 坐忘さんより)。◆Nさん、坐忘さん、ありがとうございました。
 レポート ・法然院
【参考サイト】
(1) 法然院 公式ホームページ
(2) 法然院 - Wikipedia
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