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平佐北郷家墓地 |
2022年3月27日(日)の 午後4時半から薩摩川内市内のホテルで開催された『ひらさ北郷桜 まつり』の祝宴に参加させてもらいました。 |
平佐北郷家第15代の長女で画家の 北郷萌祥(ほんごう・ほうしょう)さん(東京在住)は、先祖の想いを後世に繋げていくため、また故郷の平佐、 薩摩川内市の発展に寄与するため、地元での文化的活動にも力をいれています。 |
その一環として毎年3月に 開催されているのが、『ひらさ北郷桜まつり』です。祝宴の乾杯の挨拶で、北郷家墓地の 桜が綺麗だとのお話があったので、翌日見に行ってきました。 |
北郷(ほんごう)家は、 南北朝時代の島津4代忠宗の子息、資忠を始祖とする一族で、。中世には、代々 日向国都城(現在の宮崎県都城市)に所領を持っていました。 |
文禄年間(1590年代)の 太閤検地によって、第10代当主、時久は薩摩国祁答院(現在のさつま町から 薩摩川内市祁答院町の地域)へと所領替えになりました。 |
その時久の三男、三久が 平佐郷、高江郷、樋脇郷などを合せて一万石余の所領を与えられ、平佐城を居城とします。ここに 平佐北郷家が始まり、江戸時代を通じて代々平佐を中心として地を治めました。 |
その後も、平佐北郷家は朝鮮出兵での活躍をはじめ、 白和(薩摩川内市白和町・平佐町・横馬場町のあたり)における唐人町の形成や平佐焼の庇護、歌道への精通、 薩摩藩家老などの要職歴任、北越戊辰戦争への従軍など、歴代当主は多方面で活躍しました。 |
平佐城の本丸は今の平佐西小学校の地にあり、 この北郷家墓地は、平佐城の東の一角(庵之城)で、明治初年まで北郷家の菩提寺梁月寺がありました。 廃仏毀釈後の庫裡に北郷家が移り住み館としましたが、今は屋敷跡となっています。 |
この墓地には、 初代領主・北郷三久(1573〜1620年)から15代当主・北郷光久(1918〜1993年)までの領主、当主と その妻、そして子供たちの墓が並び、梁月寺僧侶の墓塔も見られます。 |
特に初代三久のものは、 高さ2.5メートルの石屋に納められた重厚な五輪塔です。その他の領主の墓塔は宝篋印塔が ほとんどで、初期の領主のものは石の祠に納められています。 |
北郷家墓地の近くには、兼喜(けんき)神社(本殿および拝殿)があります(写真下)。 平佐北郷家の初代三久が若くして亡くなった兄相久の霊を慰めるために元和元年(1615年)に創建した神社で、 大正時代まで9月30日の例祭では、例祭の後流鏑馬(やぶさめ)が行われていたと言われます。 |
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