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旅行記 ・広島平和記念公園を訪ねて − 広島市 2010.08 |
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焦土と化した爆心地付近(写真上) |
被爆直後 |
1枚目の写真(撮影:松重美人)(写真上) |
松重美人氏 〜 被爆当日の写真 |
松重美人氏(1913年〜2005年)は、 広島原爆投下当日の市街地の様子を撮影したほとんど唯一の人で、被爆当日の記録写真として5枚の写真が今日に伝えられています。 1枚目〜2枚目 - 御幸橋西詰にて午前11時過ぎに撮影 爆心地より南南東約2.3kmの宇品警察署管内千田町派出所前に急設された臨時治療所の様子を撮影。多数が橋の欄干近くにしゃがみ込んでいます。凄惨な光景だったため松重氏は1枚目を撮影するまでかなり躊躇したといわれます。2枚目は、かなり被爆者に接近して撮影したもので、この時にはファインダーが”涙にぬれていた”そうです。 1枚目のシャッターを切るまでに30分はためらいました。1枚シャッターを切ると不思議に心が落ち着き近づいて撮ろうと思うようになりました。10歩ほど近づき2枚目を撮ろうとファインダーを覗いてみるとあまりにもむごく、涙でファインダーが曇りました。 出典/なみだのファインダー 著/松重美人氏 発行/ぎょうせい (広島平和記念資料館・展示資料より) 5枚目 - 皆実町三丁目交差点付近を午後5時頃撮影 爆心地より南南東2.4kmの皆実町六丁目電停の付近で、宇品警察署の巡査が罹災証明書の発行にあたっている様子が撮影されています。 |
2枚目の写真(撮影:松重美人)(写真上) |
三輪車と鉄かぶと |
『三輪車、鉄かぶと』(写真上) |
三輪車、鉄かぶと 銕谷信男氏寄贈 爆心地から1,500m 東白島町 銕谷伸一ちゃん(当時3歳11ヶ月)は、三輪車乗りが大好きでした。 あの日の朝も、自宅の前で遊んでいました。その時です。ピカッと光り、伸一ちゃんと三輪車は焼かれてしまい、伸一ちゃんはその夜、死亡しました。お父さんは、たった3歳の子を一人お墓にいれても、さびしがるだろうと思いました。そこで、死んでからも遊べるようにと伸一ちゃんの亡骸とこの三輪車を一緒に自宅の裏庭に埋めたのです。それから40年が過ぎた1985年(昭和60年)の夏、お父さんは、伸一ちゃんの遺骨を庭から掘り出して、お墓に納めました。伸一ちゃんとともに庭で眠っていたこの三輪車と鉄かぶとは、平和記念資料館に寄贈されました。 (広島平和記念資料館・展示資料より) |
救援・救護活動 |
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観覧後アンケートに答える入館者(写真上) |
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