旅行記 | ・波佐見焼 − 長崎県波佐見町 |
佐賀県の有田焼は全国的に知られていて、毎年ゴールデンウィークに開催される陶器市にはたくさんの人が訪れて賑わいます。今年は第100回記念として総額2000万円相当の窯元の作品が当たる抽選会のイベントがあったようですが、今年も昨年同様、有田のすぐ隣りにある長崎県波佐見と三川内を訪問しました。波佐見は、日用食器を生産し、わが国の器・食文化の発展に寄与してきた町ですが、伝統的で華麗な工芸品やモダンなデザインのギフト用品など幅広く生産されています。昨年訪問したときから欲しいと思っていた峰雪窯の作品を二点買い求めました(下の写真)。デザインにテッセンの花を取り入れ、何千個という豆の文様が一筆一筆手描きで描かれています。 (旅した日 2003年5月) | 佐賀県有田と長崎県波佐見・三川内の位置 |
峰雪窯 田村峰雪 世界一の陶石天草陶石を砕き陶土と成し、ロクロにて造り、そして素焼きに一筆一筆真心を込めて絵付けを施し、施釉 窯焚致しますと、神技の如く窯の火は数倍も増して美しく焼き上げてくれます。 この感動をお客様に伝えられる物を、そして使われるお客様の幸せを祈り、日々、物造り一筋に努力精進致しております。 |
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【田村峰雪(照利)さん】日本伝統工芸士会々員、波佐見焼陶磁器工業組合会員、通産大臣認定 伝統工芸士。 昭和48年より16年間窯元へ陶画修行。昭和55年町伝統的工芸展町長賞を皮切りに、ながさき陶器展、九州山口陶器展で多くの賞を受賞。東京で下記の陶器展を開く。 |
波佐見焼 峰雪窯展HASAMI-YAKI porcelain from NAGASAKI 絵付けにこだわった焼物づくりの技をご覧ください。 期間: 2003年6/12(木)〜6/24(火) 場所:全国伝統的工芸品センター(東京都豊島区西池袋1-11-1メトロポリタンプラザ 1・2F) |
波佐見焼きの歴史 今からおよそ400年前の慶長3年(1598年)の文禄・慶長の役に参加した大村藩主・大村喜前公は、朝鮮の陶工・李祐慶兄弟たちを連れ帰りました。そして、彼らは波佐見に階段状連房式登窯を築き、やきものづくりを始めました。これが、波佐見焼きのはじまりです。その後、村内に磁器の原料が発見されると、染付と青磁は大村藩の特産品となり、江戸後期には日本一の磁器生産量を誇るまでになりました。 「コンプラ瓶」と「くらわんか碗」−食器・食文化に寄与 当時の波佐見焼を代表するのが「コンプラ瓶」と「くらわんか碗」です。「コンプラ瓶」は、燗付徳利に似た染付白磁の瓶で、別名「蘭瓶」とも呼ばれ、醤油や酒用ボトルとして長崎の出島からオランダ、インドネシアなどに向けて輸出されました。仲買商人「金富良商社」によって輸出されたのでその名が付いたと言われています。「コンプラ瓶」には、オランダ語でJAPANSCHZOYA(日本の醤油)、JAPANSCHZAKY(日本の酒)と書かれた2種類があります。「コンプラ瓶」には、ジャカタルお春の調度品に含まれていたとか、フランスの皇帝ルイ14世やロシアの文豪トルストイが愛用したとか、たくさんのロマンが言い伝えられているようです。 一方、「くらわんか碗」は、少し粗い白磁に呉須(藍色)で簡単な模様を描いた器で、庶民の磁器碗として大量生産され、多くの庶民の人気を得ました。「餅くらわんか、酒くらわんか」と言って売った商人たちの言葉からそう名付けられたそうです。日本の器、食文化の発展に大きな影響を与え、毎日の暮らしの中で使える、手頃で良質な食器を提供するという姿勢が波佐見焼の心であり、今でも日用食器の全国シャアの15%を誇っています。今、波佐見では、様々なニーズに応じた一般家庭用食器のみでなく、伝統的で華麗な工芸品やモダンなデザインのギフト用品など幅広い陶器が生産されています。 |
「コンプラ瓶」(写真右)と「くらわんか碗」(写真左)。波佐見陶磁器工業協同組合のホームページの写真を参考にしてイラストを描きました。陶磁器の肌合いまでは忠実に再現できていません。形だけを見て下さい。 | |||
波佐見陶器まつり (毎年4月の終わり〜5月の連休中に開催されます) やきもの公園周辺を主会場に設営された数張りの大型テントに、約130の窯元や商社が出店しています。 期間中は、20万人もの観光客と焼きものファンが来場して賑わい、お祭り気分も盛り上がり値段交渉の声が飛び交います。公園の周りには、波佐見焼の歴史をたどり、陶芸体験もできる「陶芸の館」や、 世界の代表的な窯12基が再現された「世界の窯広場」などの新名所も誕生しています。(波佐見陶磁器工業協同組合のホームページを参考にしました。) |
【備考】 (1)本ページを作成するに当たって、波佐見陶磁器工業協同組合のホームページを 参考にさせて頂きました。 (→http://www.hasamiyaki.or.jp/hasami_yaki/) (2)『天草陶石』(あまくさとうせき)について 熊本県天草郡下島でとれる陶石(とうせき)で、素地(きじ)および釉(うわぐすり)のどちらにも使用される。良質な原料のため質・量ともに日本一を誇り、現在も全国各地に搬出されている。天草陶石は、元禄年間から砥石の原料として出荷されいて、陶器の原料としては最初、平戸藩(現三川内)で使用された。大村藩波佐見でも使用されるようになり、次第に九州の各地に広まった。現在今右衛門窯をはじめ、多くの有田焼や全国の磁器に天草陶石が使用さている。 (3)『くらわんか碗』の名前の由来について 波佐見陶磁器工業協同組合のホームページには、詳しくは ”この名前は、江戸時代、摂津の淀川沿いの船に、小舟で近づき「餅くらわんか、酒くらわんか」と言って売った商人その言葉から名づけられました。”と有ります。この「摂津の淀川沿い」は、大阪枚方のことです。江戸時代、枚方では三十石船の乗客に向かって小舟を漕ぎ寄せ「くらわんか、ごぼう汁、あん餅くらわんか」などと野卑な言葉を投げかけ、酒や食べものを売りつける「くらわんか舟」が有名だったそうです。枚方でも使われていた「くらわんか碗」は、それまで庶民の手が届かないものだったのですが、波佐見で生産されるようになって手頃な価格で提供されるようになりました。その縁で、枚方市と波佐見町は、「市民交流都市」の親善を結んでいます。(メールでお便り頂き、追記しました。) |