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浜庄津町浜金屋町 |
『浜庄津町浜金屋町』保存地区が位置する浜川河口近くの右岸は、すでに中世から成立していた港町で、近世には鹿島藩(鹿島鍋島家)の外港として、商人や船乗り、鍛冶屋等が住み発展しました。町の中央を通る多良海道と小路が町の骨格を形成し、道沿いや敷地背後に水路が走っています。河港の在郷町としての地割をよく残し、茅葺や桟瓦葺の町家が建ち並ぶ、特色ある歴史的風致を今日によく伝えています。浜庄津町は、船頭をさす庄津、鍛冶屋をさす金屋が住み分けたことから通称『庄金地区』とも呼ばれています。『むつごろうの蒲焼』の看板を出す店(写真下)も珍しいです。 |
夷(恵比須)三郎の祠 |
町でよく見かける恵比須(えびす)像は鯛を抱えた恵比須様ですが、このような恵比須信仰は江戸時代の中ごろから盛んになりました。この恵比須様は佐賀県でも最も古いものの一つで、貞亨四年(1687年)に造られています。ここの恵比須様は文字だけで、『夷三郎(えびすさぶろう)』と彫ってあります。 |
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