五稜郭から南西を眺めた風景。陸繋砂州上に市街地が広がり、先端に函館山が。) |
函館市は、北海道西部から内浦(うちうら)湾を抱き込むように南へと曲がり出た渡島(おしま)半島の南東端にある人口28万人近くの都市です。1854年(安政元年)、日米和親条約によって補給港となり、1859年(安政6年)、日米修好通商条約により、下田、横浜、長崎とともに日本初の国際貿易港として開港、外国人居留地が設置されました。 |
函館市電の運転席から眺めた風景(前方に十字街電停と函館山が見えます) |
函館市の中心市街地は、函館山を陸繋島(りくけいとう)とする陸繋砂州(りくけいさす)上に展開しています。日本三大夜景の1つである函館山からの夜景、元町・末広町の重要伝統的建造物群保存地区、函館港周辺、五稜郭、湯の川温泉、トラピスチヌ修道院など、市内には多数の観光スポットがあり、函館市電などでつながっています。 |
赤レンガ倉庫群
(国の重要伝統的建造物群保存地区) |
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函館の代表的景観の一つである『赤レンガ倉庫群』 |
幕末に造船所や外人居留地があった埋立地に並ぶ金森赤レンガ倉庫群は、金森商船株式会社が管理・運営を行う倉庫群。現在はショッピングモールやビアホール・レストランが入居する、函館の観光名所となっており、レンガ倉庫群の風景は函館を代表する景観の一つになっています。 |
現在は、ショッピングモールやビアホール・レストランが入居しています。 |
1863年(文久3年)に大分県出身の初代渡邉熊四郎(当時24歳)が長崎県から函館市に渡り、金森洋物店を開業しました。時はまさに、榎本武揚ら旧幕府軍が降伏し開拓使出張所が函館に置かれた、新しい時代の幕開けの時代でした。これが現在の赤レンガ倉庫の起源となりました。 |
『市立函館博物館郷土資料館』(旧金森洋物店)と函館市電) |
函館は幾度となく大火災に襲われた街でした。その経験を生かして初代熊四郎は、明治13年(1880年)、煉瓦を使用した洋風不燃質店舗『金森洋物店』を開店させました。この建物は、現在、『市立函館博物館郷土資料館』として使われています。館内には、当時の函館の人々のハイカラな暮らしぶりが伺える品々が展示されています。 |
元町末広町
(国の重要伝統的建造物群保存地区) |
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市電通りと基坂通りの交差点にある『相馬株式会社』の建物 |
函館市電の十字街電停から末広町電停にかけての山側にはたくさんの坂道があります。末広町電停で降りて函館ドック寄りのところにあるのが『基坂』(もといざか)。石畳が敷かれた直線の広い坂で、函館山に向かって左手に『函館市旧イギリス領事館』があり、坂を登りきったところに『元町公園』や『旧函館区公会堂』があります。 |
『函館市旧イギリス領事館』の佇まい |
イギリスの領事館は、1859年(安政6)年の開港とともに、アメリカ、ロシアに次いで函館では3番目に開設されました。『函館市旧イギリス領事館』は、1913年(大正2年)の築で、1934年まで領事館として使用されましたが、現在は改装され開港記念館として一般開放されています。内部にはレストランも併設。 |
基坂から見上げる『旧函館区公会堂』 |
『旧函館区公会堂』は、明治時代に建設されたコロニアルスタイルの西洋館で、ブルーグレーとイエローの色が特徴的。国の重要文化財に指定。1907年(明治40年)の大火により町会所が焼失し、新たな集会所の建設の計画が持ち上がった際、豪商初代相馬哲平が工事費の大半の寄付を申し出て1910年(明治43年)に完成しました。 |
ブルーグレーとイエローの色が特徴的な『旧函館区公会堂』 |
北海道特有の木造2階建ての擬洋風建築、アメリカのコロニアル風洋館で札幌の豊平館と並んで、明治期の洋風建築として注目されています。左右対称のポーチを持ち、回廊で結ぶ中央にベランダを配し、左右のポーチにもベランダを持ち、屋根は桟瓦葺きで屋根窓を持っています(ウィキペディアより)。 |
夜景と並ぶ函館のビュースポット『八幡坂』の風景 |
函館の夜景に並んでビュースポットとして紹介されることが多いのが『八幡坂』(はちまんざか)。この坂を登り切ったところに箱館八幡宮があったのが名の由来となっています。今は、演歌界の大御所・北島三郎の出身校として知られる函館西高校があります。正面に見えるは、記念館として係留展示されているかつての青函連絡船・摩周丸。 |
教会の尖塔越しに函館湾を眺めるエキゾチックな風景 |
函館市電の十字街電停と末広町電停のちょうど中間にあるのが『大三坂』(だいさんざか)です。この坂を下りきった先に赤レンガ倉庫群があります。昔、坂の入口に大三という家印の郷宿があったのでこの名が付いたのだそうです。石畳が美しい坂で日本の道
100選にも選ばれています。 |
『函館ハリストス正教会』 |
大三坂から函館山へ向かって上っていくと、道は『チャチャ登り』と呼ばれる細い急坂になります。チャチャはアイヌ語で老爺を意味し、老若男女が腰を屈めて上らなければならないほど急な坂だというを物語っているわけです。この付近には、『カトリック元町教会』、『函館ハリストス正教会』、『函館聖ヨハネ教会』が建ち並んでいます。 |
『函館ハリストス正教会』は1859年に創立されたロシアビザンチン様式の建築。何度かの類焼・再建を経て現在の建物は1916年築のもの(国の重要文化財に指定)。函館聖ヨハネ教会』は1874年創建の英国聖公会の教会。現在の建物は1979年築のもので、茶色の十字形をした屋根が印象的。 |
五稜郭
(国の特別史跡) |
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五稜郭タワー展望台からの五稜郭全景 |
五稜郭(ごりょうかく)は、江戸時代末期の1866年に築造された星形の城郭で、日米和親条約締結による箱館開港に伴い、防衛力の強化と政庁箱館奉行所の移転問題を解決するため、徳川家定の命により築造されましたが、外国の脅威が薄れてくると築造の目的は国家の威信へと変わっていきました。 |
2010年に復元された箱館奉行所 |
戊辰戦争の局面のひとつで、新政府軍と旧幕府軍との最後の戦闘である箱館戦争(1868年〜1869年)において、1868年(明治元年)佐幕派の大鳥圭介と土方歳三の軍が五稜郭を占拠し、翌年箱館政権を樹立しますが、1869年(明治2年)に新政府軍に敗北して五稜郭は明け渡され、同年廃城となりました。2010年(平成22年)に箱館奉行所の復元工事が完成し公開されています(参考:ウィキペディア)。 |
夜景 |
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函館山山頂からの夜景 |
函館山は、季節を問わず多くの観光客でにぎわう函館一の観光スポット。標高334mの山頂から見る夜景は、日本三大夜景(函館、神戸、長崎)、そしてナポリ、香港と並び、世界三大夜景にも挙げられています(但し、世界三大夜景は日本国内で発案されたもののようです)。 |
赤レンガ倉庫群の夜景。前方に函館山山頂の展望台が見えます。 |
函館山の山頂から見る夜景の美しさは、何と言っても陸繋砂州という地理的条件が作り出す絶妙な末広がりの形にあるようです。どの観光客も函館を訪れたらこの夜景を一度は見ずにはおれないわけですから、山頂の展望台は混雑し、撮影場所を確保するに順番を待たねばならないほどです。 |
赤レンガ倉庫群の夜景 |
しかし、いくら混んでいても夜景を見れないということはないようです。というのは、125人乗りという大型ゴンドラを導入しているロ−プウェイが、あっという間に客を吸い込んで運んでくれるからです。ちなみにロ−プウェイ料金は往復で大人1,160円。函館の百万ドルの夜景、それはまさしく函館のドル箱的存在の観光資源に他なりません。 |
函館駅 |
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青森行き特急『白鳥』(右)と札幌方面行き特急『北斗』(左)。旅情をそそられます。 |
JR函館駅は、函館本線・室蘭本線・千歳線経由で札幌方面間をつなぐ特急『スーパー北斗』『北斗』、そして、青函トンネル(53.85 km)を通って青森県と北海道を結ぶ特急『スーパー白鳥』『白鳥』の発着駅です。また、札幌駅発着の寝台特急列車『北斗星』『カシオペア』(関東方面行き)、夜行急行列車『はまなす』(青森行き)が停車します。 |
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