苔庭から本堂へのアプローチ |
平家物語・『祇王』
平氏全盛の頃、都に聞こえた白拍子(しらびょうし、平安時代に流行した歌舞を演じる遊女)の上手に祇王(ぎおう)と祇女(ぎにょ)という姉妹がありました。二人の母親の名は刀自(とじ)。近江の国は野洲江辺庄の生まれで父九郎時定は、江辺庄の庄司でしたが罪があって北陸に流されたので、母とともに都に出て、白拍子となっていました。
その一家に途方もない幸運が舞い込んきます。姉の祇王が清盛に寵愛されるところとなったのです。母親には立派な家が与えられ、妹の祇女も有名になり、一家は安穏に暮らしていました。ところが、ここに加賀の出身で仏(ほとけ)御前と呼ばれる白拍子の上手が現われ、清盛の館に行き、舞をお目にかけたいと申し出ます。 |
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祇王寺(尼寺)
ニ尊院から奥嵯峨野方向へ向ってしばらく行った小倉山山麓の奥まったところ、小さな尼寺・祇王寺は、周囲を竹林に囲まれひっそりと佇んでいました。この地は、かつて法然上人の弟子念仏房良鎮(りょうちん)が創建した往生院があったところ。往生院は江戸末期まで存在していたらしく、明治初年になって廃寺となりました。これを惜しんだ旧地頭大覚寺門跡楠玉諦師が再建を計画していたとき、別荘の一棟を寄付したのが、あの南禅寺・水路閣、琵琶湖疎水計画を実行に移した、当時の京都府知事・北垣国道氏でした。
平家物語で語られている白拍子・祇王の悲恋を知った北垣知事は、祇王を偲んで明治28年、嵯峨にあった別荘の一棟を寄付、これを本堂にして冨岡鉄斎らによりささやかな尼寺が作られ、祇王寺とされました。 |
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影が虹の色に現われるといわれる吉野窓 |
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