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旅行記 ・臥龍山荘 − 愛媛県大洲市 2020.02
 がりゅうさんそう
臥龍山荘
龍山荘『不老庵』(右手に蓬莱山)
臥龍山荘(がりゅうさんそう) 愛媛県の大洲市(おおずし)は肱川の流域にある大洲城を中心に発展した旧城下町です。その大洲市にあるのが『臥龍山荘』。肱川湖畔に蓬莱山がある地は、その山が『龍の臥す姿に似ている』ことから大洲藩第3代藩主加藤泰恒によって『臥龍』と命名されました。
臥龍山荘・石標
肱川河畔随一のこの景勝地に初めて庭園を築かれたのは文禄年間、藤堂高虎の重臣、渡辺勘兵衛の時代に遡ります。その後、この地をこよなく愛した泰恒公は、吉野の桜、龍田の楓を移植し、庭に一層の風致を加えました。その後、歴代藩主の遊賞地でしたが明治以降は補修されることもなく自然荒廃していました。
臥龍山荘・入口『黒門』
その後、この地は歴代藩主の遊賞地でしたが明治以降は補修されることもなく自然荒廃していました。木蝋貿易で成功して財を成した大洲出身の河内寅次郎(常住地は神戸)が老後の余生を過ごすために構想10年、施工4年の歳月をかけて建設し明治40年(1907年)に完成した別荘が『臥龍山荘』です。
流れ積み
独特の石積み 臥龍山荘入口の黒門を入って右手の石垣に目がつくのが、『流れ積み』『末広積み』『乱れ積み』と呼ばれる独特の石積みの工夫。横長い石を肱川の流れに見立てたのが『流れ積み』で、丸い臼は月を、向かって左端にある細長い手水鉢は船を表しています。
末広積み
長い石が八の字に組まれた末広がりの美しい石積みが『末広積み』。石垣から木の幹が突き出しています。『乱積み』はお城の石垣などに見られ積み方で、大きさの違う平石をさまざまな方向に組み合わせて積み上げる方法。適当に積んでいるように見えますが高度な技術が求められる積み方だそうです。
乱れ積み
臥龍院 臥龍山荘は、臥龍院、不老庵、文庫、知止庵の4棟からなり、臥龍院、不老庵、文庫の3棟は2016年度に国の重要文化財に指定されました。母屋の臥龍院は数寄屋造りで、『霞月の間』(かげつのま)、『清吹の間』(せいすいのま)、『壱是の間』(いつしのま)があります。
臥龍院
霞月の間 農家の侘(わ)びた風情を感じさせる茶室で、霞(かすみ)を表す違い棚や月を表現した丸窓など、匠の細やかな心配りを随所に感じることができます。鼠色の襖には蝙蝠(こうもり)の引き手があり、夕暮れの空間を表しています。また縁に仙台松の一枚板が使用される工夫がなされています。
壱是(いっし)の間
壱是の間 格調高い書院座敷で畳を上げれば能舞台となり、床下には音響をよくするための備前壺が並んでいます。丸窓、濡縁、障子戸、天井板などに桂離宮様式が色濃く現れ、本床の松皮菱の花頭窓は桂離宮新御殿と同じ櫛形の黒漆縁となっています。
清吹(せいすい)の間
清吹の間 別名を『夏の部屋』とよばれ、夏向きに造られた部屋です。北向きで風通しがよく、天井は他よりも高く、涼しさを感じさせる細工が随所に見られます。欄間には、桜の花筏で春、水玉で夏、菊水で秋、雪輪窓で冬とそれぞれ水にちなんだ彫刻がなされています。
中庭の手水鉢・安生橋
安生橋(あんじょうはし) 中庭に安生橋と彫刻された石の宴中の手水鉢があります。実際に橋柱として使われていたものだそうです。そののたもとには『あんじょうかえる』(無事に帰る)と言う遊び心で、蛙の置物がおいてあります。美観だけでなく趣も凝らされた中庭です。
臥龍院
庭園 神戸の庭師植徳が10年がかりで築造した路地庭園は、自然の景観を生かし、蓬莱山を中心として四囲の山川を取り込んだ広大な借景庭園となっています。石積み一つとってみても変化を持たせた多様な石積み、飛び石にも銘石を使い、樹木にも数百年の老樹があり、苔類にも珍種が見られます。
庭園
不老庵(ふろうあん) 不老庵は、臥龍院から庭園を抜けて少し離れた、肱川の臥龍淵を足下に見下ろす場所に建っています。明治34年(1901年)3月に完成。 平屋建ての寄棟造りで、北面西寄りに茶室が付属しています。 川へ迫り出すような懸造りを採用し、肱川に浮かぶ船に見立てているのが特徴。
不老庵
川面で反射した月明かりがほんのりと天井を照らす効果を狙った竹網代張り天井や生きた槇(まき)の木を柱に使った『捨て柱』など巧妙な趣向が凝らされており、極めて独創的な数奇屋の意匠。四国地方における近代の数寄屋建築の優品として高い価値を有しているとく評価されています。
不老庵
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