旅行記  ・昭和の木造校舎を訪ねて −鹿児島県大口市布計   



昭和に別れを告げて今年で16年目。昭和は、近いようで段々遠い時代になって行きます。
鹿児島県大口(おおくち)市の、熊本県との県境にある山間の集落・布計(ふけ)。そこには、今から25年前の1979(昭和54)年に廃校になった布計小学校の校舎が当時のまま残されています。大口市と熊本県水俣市を結ぶ国道268号から県道に入り、本当にこの先に集落があるのだろうかと不安になるほどの山間の、車の離合もままならない狭い道を約10km走ります。そんな山間になぜ集落が形成されたのかと言うと、1902(明治35)年に布計金山で金の採鉱が始まり、1933(昭和8)年には布計鉱業所が操業を始めています。かって、全盛期の頃は約100戸があったそうですが、今はその三分の一に減っています。2004年の新しい年が明けた正月の、時折時雨の降る日に、昭和時代の小学校の面影(おもかげ)が残る校舎を訪ねました。                                 (旅した日 2004年1月)

布計(ふけ)小学校跡
学校の門跡のそばにある記念碑によると、1899(明治32)年創立とあります。布計金山で金の採鉱が始まる前に創立された、1979(昭和54)年に廃校になるまで80年の歴史を持った小学校だったわけです。用具室には当時の運動用具とともにゲートボールの道具が置いてあります。用具や運動場は今でも、地区の運動会や祭りなどに利用されているのでしょうか。
  
学校生活の面影
スピーカーや消防ポンプ車、鉄棒などが残されていて、当時の学校生活が偲(しの)ばれます。校舎玄関は、木材は朽ち、瓦は苔生(む)している中で、校章だけは古ぼけておらず、校庭で遊ぶ子供たちをいまだに見つめ続けているようです。小学校の鉄棒って低かったんですね。そして、とても華奢(きゃしゃ)なのが哀(あわ)れを誘います。
  
  
木造の教室
鹿児島と言っても、県境の山間の冬は冷えます。職員室ではストーブを焚いていたのでしょう、煙突が残っています校舎内部の壁や天井は、外見ほどは傷んでいません。むしろ、木の温もりが伝わってくるようです。複式学級だったのでしょう、『小2、6年』とあります。そして、その教室の最後の担任だった先生の名前が書かれています。玄関には、校庭で朝礼や体操をするときに用いる台が置いてありました(写真右下)。
モニュメント
卒業記念に制作されたのでしょう。校庭には、今は黒ずんだモニュメントが置いてありました(写真左上)。1937(昭和12)には、菱刈と水俣を結ぶ国鉄山野線が開通しました。それにともなって、布計にも駅ができましたが、1988(昭和63)年、山野線は廃止となりました。菱刈金山は、今でも日本一の産金量を誇って操業中です山野線は、かって金の産出で賑わった路線でした。「薩摩布計駅」跡には、モニュメントが置かれています(写真右)。バス停の標識(写真左下)は、モニュメントではありません。一日一往復ですが今でも、大口市代替バス(さつま交通バス)が走っています。代替とは、国鉄山野線の代替ということです。

【参考となるサイト】
◆かっての国鉄山野線を走るヂィーゼル車『キハ52』
    → http://www.h3.dion.ne.jp/~nakachan/18%20kiha52%20yamano%20photo.htm
      (ホームページ「鉄道写真館 南九州の鉄道を訪ねて」 → http://www.h3.dion.ne.jp/~nakachan/  より)
◆山野線
    → http://homepage2.nifty.com/tkohara/yamano04.htm
      (ホームページ「街と鉄道」 → http://member.nifty.ne.jp/tkohara/ より)