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旅行記 ・コルドバ メスキータとユダヤ人街 − スペイン(4) 2011.07
メスキータとユダヤ人街
(世界遺産)
 ローマ橋
  大河グアダルキビル川にかかるローマ橋。右手前の建物はカラオラの塔
メスキータのある旧市街地側からグアダルキビル川を渡った川沿いにそびえる『カラオラの塔』は、コルドバ旧市街地の防衛施設として14世紀に建てられ、その後さまざまな役割を担ってきました。現在は、博物館として使用されています。
 ローマ橋を渡りきったグアダルキビル川の岸辺にメスキータはあります。
全長230mのローマ橋は、16のアーチで支えられています。紀元後一世紀、ローマ帝国によって本格的なコルドバの都市建設が始まった時に架けられました。イスラム時代に補強され、さらにキリスト教徒の時代に改修されています。
 美しい風景を装っているサン・セバスティアン病院(正面の建物)
メスキータの西にたたずむ建物は、そのゴシック様式のファザード(正面壁)の美しさがコルドバ有数といわれる『サン・セバスティアン病院』。1986年以降は、国際会議・見本市会館として使用されています。
 かつてアラブの城壁の一部だったプエンテ門
プエンテ門は、かつてアラブの城壁の一部でしたが、1571年、エルナン・ルイス3世によってルネッサンス様式で改修され、その後1928年には、内装の修復も行われました。この門のすぐそばには、1765年から16年の歳月をかけてミゲル・べるディギエルが建てた『サン・ラファエル(コルドバの守護聖人)のトリウンフォのモニュメント』がそびえています。
メスキータ
(聖マリア大聖堂)
 グアダルキビル川とローマ橋越しに見るメスキータの外観
メスキータの西側ファザード外壁装飾
紀元後一世紀、コルドバの本格的な都市建設が始まると、ローマへの道の要衝となったローマ橋が架けられ、コルドバは栄華を極めます。現在でもローマ寺院やローマ橋などの遺跡が遺されています。のちに西ゴ ート王国に支配され、6世紀には東ローマ帝国の領土となったこともありますが、711年、イスラム教徒に征服されます。そして、756年に成立したイスラム王朝・後ウマイヤ朝は、コルドバを『アル・アンダレス』(イスラム教徒支配下のスペイン版図のことをイスラム教徒はこう呼びました)の首都としました。
  コルドバの歴史
コルドバ (Cordoba) はスペイン、アンダルシア州、コルドバ県の県都で、グアダルキビル川に面する32万3000人余りの都市です。コルドバは、紀元前169年から153年、ローマ帝国の将軍クラウディウス・マルケッルスによって、大河グアダルキビル川上流の、船舶が通航できる限界の場所に築かれました。そこに設けられた港からは、モレナ山脈の鉱産物やカンピーニャ地方の農産物がローマ帝国の主要都市へ運ばれたといわれます。
メスキータの西側ファザード外壁装飾
 メスキータの西側ファザード
 鐘楼とオレンジの中庭
高さ54mの鐘楼は、コルドバで最も高い建物で、内部には、かつてのメスキータのミナレッド(尖塔)を囲うように203段の螺旋階段が設けられています。
オレンジの中庭と回廊
96本のオレンジがほのかな香りを漂わせ、オリーブや糸杉などの種類豊富な樹木が植えられた『オレンジの中庭』は、かつでイスラムの礼拝者が体を清めるための沐浴を行う『禊(みそぎ)の庭』でした。
『礼拝の間』の『円柱の森』のアーチ群(上下写真)
『礼拝の間』の空間を支える無数の円柱は、世界各地から集められた時代、様式、場所の異なる他の建物から転用されたものです。転用によるために寸足らずとなった円柱の上部10m程度の高い天井を支える部分の工夫が、特徴となる二重アーチを生み出しました。
 854本の円柱が現存。最大時には1000本以上あったといわれています。
このイスラム寺院で最も珍重されている建築要素が天井を支えるこれらの列柱とそのアーチです。これは世界に類を見ない斬新なものです。後ウマイヤ朝の建築家たちが手がけた馬蹄形のアーチは、メリダ(スペインのエストレマドゥーラ州バダホス県)にあるローマの水道橋を参考にしたといわれ、白い化粧漆喰と赤い石(レンガ)を交互に楔状に配した構成となっています。
アーチ状の天井
しかし、キリスト教勢力によるレコンキスタ(国土回復運動)の進展により、1236年6月29日、カスティーリャ王国のフェルナンド3世に征服されました。15世紀末の1492年にグラナダ王国が滅亡しレコンキスタが終了し、レコンキスタが完了するとイスラム勢力がイベリア半島から追われ、メスキータにはカトリック教会部分が増築されます。
後ウマイヤ朝のアミール(首長)に即位したアブデラマン1世は、西ゴート族の教会を基にメスキータ(イスラム教寺院)の建設を命じました。10世紀には、アブデラアン3世とアルハカム2世の治世下で繁栄をとげ、40万冊以上の書籍を所有する大図書館が建てられて多くの学者が活躍した。トレドと並んで西方イスラム文化の中心地として発展し、10世紀には世界最大の人口を持つ都市となりました。
ミフラーブへの入口(写真上)
 『ミフラーブ』(写真上)は、メッカの方向を示す壁のくぼみ(祭壇)。最も重要な場所の一つです。
礼拝の間には『キブリ壁』(muro Kibli)といわれるメッカのカーバ神殿(イスラム教における最高の聖地とみなされている聖殿)の方向を指し示す壁が正面にあり、目印となる『ミフラーブ』(Mihrab)と呼ばれる小さな窪みが設けられています。
ミフラーブの前に設けられたドームの天蓋
マヨール礼拝堂(キリスト教礼拝堂)
しかし、13世紀にキリスト教徒のレコンキスタ(国土回復運動)によってカスティージャ王国がコルドバを再征服すると、コルドバの巨大モスクはカトリック教会の教会堂に転用されます。最終的には16世紀、スペイン王カルロス5世(神聖ローマ皇帝としてはカール5世)の治世にモスク中央部にゴシック様式とルネサンス様式の折衷の教会堂が建設され、イスラム教とキリスト教の2つの宗教が同居する唯一無二の、世にも珍しい建築が成立しました。メスキータは大きく分けて、『鐘楼』と『オレンジの中庭』(かつてのみそぎの中庭)、そして無数の柱が森のように広がる祈りの場である『礼拝の間』の3つの部分から構成されています。
   メスキータ(聖マリア大聖堂)
メスキータ(mezquita)とは、スペイン語でモスクという意味で、アラビア語に由来する。しかし、一般的には固有名詞として、コルドバの『聖マリア大聖堂』を指す場合が多いです。もともと、この地には西ゴート王国時代に建設されたカトリック教会の聖ビセンテ教会が存在していました。その後、イスラム勢力が北アフリカからイベリア半島に侵入し、756年に後ウマイヤ朝を建国すると、この聖ビセンテ教会はイスラム教のモスクとしても使用されるようになり、8世紀末にはイスラム教徒がキリスト教徒から聖ビセンテ教会を完全に買い取り、新たにモスクの建造を開始しました。10世紀末には拡張工事が行われ、数万人を収容することが出来る巨大モスクが完成しました。
ラマヨール礼拝堂
マヨール礼拝堂の円形天井
 
花の小路
ユダヤ人街の東端の入口にある有名な撮影スポットの一つ『花の小路』
メスキータの近くのベラスケス・ボスコ通りを行くと、右手に狭い路地があります。コルドバで最も有名な撮影スポットの一つである『花の小路』です。突き当りまで進むとちょっとした噴水とお土産店があります。振り向くと、鉢植えの花が飾られた路地とその奥にそびえる大聖堂の鐘楼が美観を織りなしています。
 ユダヤ人街(旧市街地)
ユダヤ人街(旧市街地)には、白壁に黄色の窓枠の建物がよく見られます
建物の白壁には鉢植えの花が吊るされています
 迷路のような路地の日蔭で衣服を売る店
こじんまりしたパティオ(中庭)をよく見かけます
キリスト教徒のレコンキスタ(国土回復運動)終了後の追放令によってユダヤ人は姿を消しましたた。この地区の西側にはシナゴーグ(ユダヤ教会)が残り、その向かい側には闘牛博物館があります。家が白壁で窓か小さく少ないのも、路地が狭いにも陽射しを反射させたり、避けたりする工夫です。良く見られるパティオや鉢植えの花も陽射しを和らげているようです。 
ユダヤ人街 
メスキータの北、細い通りが迷路のように入り組んだ地区。『花の小路』が象徴するように、路地の両側には窓の小さな白壁の家が建ち並び、花の小鉢が飾られて、小さなパティオ(中庭)が見られます。かつてコルドバ・カリフ帝国時代に多くのユダヤ人が住んでいた旧市街地です。
『ZOCO』とある建物に『闘牛博物館』があります 
『シナゴーグ』(写真右手の建物)はかつてのユダヤ教会
人影が生活感を感じさせる路地
アルモドバル門は、旧市街地であるユダヤ人街への西の出入口です。城壁のそば建つのはセネカの像。セネカは、コルドバ生まれで、紀元前一世紀から紀元後一世紀にかけての政治家、哲学者、詩人。ローマ帝国の暴君ネロの幼少期の家庭教師としても知られ、また治世初期にはブレーンとして支えた人として知られています。
アンダルシアで唯一、スペインでも二箇所しか現存しない『シナゴーグ』(上の写真右手の建物)は、かつてのユダヤ教会。迷路のような路地沿いにあり、見逃すところでした。1315年『正義王』アルフォンソ11せいの命で建てられたもの。内部には、コルドバのユダヤ教徒の宿人が造り上げた精巧な透かし模様などが残されているそうです。
アルモドバル門はユダヤ人街への西の出入口
アルモドバル門とセネカ像
 
高速鉄道AVE
首都マドリードまで乗ったスペイン高速鉄道AVE(アベ)。女の子のひとり旅でしょうか・・・
AVE(アベ)は、スペイン国鉄(RENFE)が運行する高速鉄道システムの名称で、車両は最初に開通したマドリードとセビリア間の高速新線ではフランスのTGVの技術供与を受けて造られたものが運用されており、軌道・信号システムはドイツの高速新線用のもの(LZB) が導入されているそうです(ウィキペディアより)。
【参考サイト、書籍】
(1) コルドバ − Wikipedia
(2) メスキータ − Wikipedia
(3)
ガイドブック『コルドバ』(欧州連合、欧州地域開発基金)
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